空に浮かぶ華と例えられる、翼の民が住まう空界。 東に青王の統治する青王領、西に白王の統治する白王領、南に赤王の統治する赤王領、北に黒王の統治する黒王領。その中心に位置する皇帝の城にて、今、父と子が大切な話を始めようとしていた。 「……は?」 「だから、お前の婚約者、決まったから」 次世代の皇帝、皇太子の位にある白夜は、彼らしくもなく口をぽかんと開けて玉座に座る父親――現皇帝を見上げた。幸い、人払いされた広間には、父と息子の二人しかおらず。白夜の間抜けな顔は、他の誰にも見られずに済んだ。 「……確認しておきますが、従姉姫ではないですよね?」 「ああ。白の伯爵のところの姫君でもないぞ。彼女たちでは皇妃は務まらないということ、お前とてよく知っておるだろうに」 「知っていますが、条件に該当する女性がいないということも知っていますよ」 空界の皇帝、そして皇妃にはそれぞれに必要な資質がある。それを満たしていなければたとえ皇家直系であろうと皇帝になることはないし、どんなに素晴らしい家柄の血族の姫君でも皇妃になることはできない。 すなわち、空界の民の持つ三つの力――襲いくる脅威を排除し敵を一掃する『攻撃』の力である『剣』の力、全ての攻撃を跳ね返す『防御』の力である『盾』の力、そして傷を癒し病を治す『治癒』の力である『癒し』の力――のうち、皇帝には空界を護り維持していくための『盾』の力、皇妃には外敵全てを薙ぎ払う強大な『剣』の力を求められる。 現皇帝――白夜の父の代も、同世代の皇族・王族・貴族の中に条件を満たす姫はおらず。結果として皇妃の座についたのは、皇帝が市井で偶然に出会った『剣』の力を持つ少女だった。彼女が後に産んだ子が、つまりは白夜である。 そして、白夜の世代でもまた、皇妃の資質を持つ姫君は見出されておらず。新たな姫君の誕生を待つか、あるいは年頃になった際に父親のように偶然の――あるいは運命の――出会いを求めて空界のあちこちを探すか、という状態だ。といっても、白夜もまだまだ結婚する年齢ではないので、本人としては急いでいないのだけれども。周りはそうでもなかったらしい。 下馬評では、次期皇妃の有力候補として名前が挙がるのは、皇帝の弟の娘である姫君と、白王領に領地を持つ伯爵家の次女。けれど、どちらも持つ力は『剣』ではないから、皇妃にはなりえない。とはいえ皇妃の条件を知る者は限られているから、知らない者は好き勝手言うのだった。 それで、話を戻すと。 白夜の父親は、そんな条件の難しいはずの未来の皇妃となるべき存在が、みつかったと言っているようだった。 「どこのどなたですか? お相手は」 「赤の王家の跡取りの姫君だ」 「……は?」 とにかく、まずは一番重要な情報を得ようとして。返ってきた答えがあまりに予想の斜め上を行っていたもので、白夜はまたも口をぽかんと開けてしまった。 「あそこの姫君も、ようやくどんな力を持っているかわかる年齢になってな。判定の結果、『剣』の力の持ち主だったそうだ。それも、皇妃としての責務を果たすに充分な強さのな」 理由はわかった。しかし、ここには大きな問題がある。この父のことだからそちらもなんらかの形で解決済みだろうとは思いつつ、それでも白夜は聞かないわけにはいかなかった。 「ちょっと……待ってください。だとすると、赤王家の姫君が我が妃になるということは、赤の王座は誰が継ぐんです?」 聞きながらも、白夜の脳裏には一人の少年が浮かんでいた。 白夜の問いに、一つ頷いて。皇帝が挙げたのは予想通りの名前だった。 「現赤王の弟御――天河殿を養子として迎え、赤王家を継がせることになった」 はあ、と白夜は声になる以前のため息のような相槌を打った。 「正式な披露目の前に、顔合わせの場は作ろう。お前、確か銀河姫に会ったことはなかっただろう」 まだ続く父の言葉に適当に頷きつつ、話が一段落したところで。白夜は「ちょっと出かけます」と告げた。どこに行くのかわかっているように、にやりと笑った父の顔がなんとなく不愉快だったけれど、白夜は黙って頭を下げて席を辞するに留めた。 空界の南、赤王が治める赤王領のさらに中心。赤王の居城を、白夜は訪れていた。 といっても目的は、婚約者となる赤王の一人娘ではない。 庭園の一つの中になる四阿に通され、しばらく待った後に現れた相手は、予想通りに憔悴しきった顔をしていた。 「やっぱり大変そうだな」 人払いをかけ、お付きの者たちも下がったその場所で。白夜はざっくばらんに語りかけた。 「まったくな。いきなりこんなことになるなんて思わなかったさ」 答えた相手に、皇太子を前にしているという緊張感はない。何せ、幼馴染といっていいような関係なものだ。 白夜の前でおおげさに(本人は心の底からかもしれないが)ため息をついてみせたのは、先ほど父との話で名の出た相手――赤王の年の離れた弟、前赤王の第二王子である天河だった。 白夜と天河は年も近く、また皇家と王家という近しさもあって、幼い頃から交流があった。人前では皇太子である白夜を立てる態度を取っている天河だが、二人きりの時には対等の友人としてお互いに接している。 「まあ、お前なら銀河のこと大事にしてくれるとは思うけどさ」 四阿のテーブルに肘をついて、天河は年よりも幼く見える表情で笑った。 天河は、前赤王の二番目の子だ。 空界の皇族・王族・貴族の家では、二番目以降に生まれたこどもは、ほとんどの場合が冷や飯食いだ。空界の典範では、皇位・王位・爵位は長子が継ぐこととなっているのがその理由で、ごくまれに跡取りに不幸があったり資質不適切――どうしようもない怠け者だとか性格破たん者だとか――だと判断されたりとの理由で次子以下が家を継いだり、子がいない場合によそから養子をもらって継がせたりということはあるけれど。 天河もその例に漏れず、父が退位した後は兄が赤王として即位しており、特に他の王家からの養子の話も、婿入りの話なんかもなかったため、気ままに過ごすことが許されていた。王宮を抜け出して森に行ったりお忍びで街に出たり、白夜は天河のそうした話を聞くのが好きだった。 でも、その気ままが許されるのも、たぶん昨日今日あたりまでは。今日からはもうそうはいかなくなるだろう。 本来なら、赤王家は現赤王の長子である銀河姫が継ぐことになっていた。けれど、その銀河姫が白夜の婚約者と定められ、いずれ皇妃として皇家に嫁すことになってしまっては、赤王家を継ぐ者がいなくなってしまう。だからこそ、現王の弟である天河を後継に据えることになったのだ。 『冷や飯食いの次男』という立場から脱却したと思えば、天河にとってはいいことだ、というのが大方の見方だろうけど。天河自身がどう感じているのかはわからない。何気にめんどくさいと思っているんじゃないかと白夜は思っているけれど。 「で? 立太子はいつになるんだ?」 「皇太子殿下の婚約発表後らしいぜ。お前、いつになるか聞いてないの?」 「いや、お前の姪っ子と婚約することになったってことしか聞いてない」 「適当だな……っと、皇帝陛下の悪口じゃないからな?」 「わかってるって。息子の俺だって適当だと思うもん」 顔を見合わせて、ははっと笑って、そこで。唐突に、白夜は気が付いた。 「そういえば、お前の姪っ子、この城にいるんだよな」 「……あのな、お前まさかソレぽーんと忘れて俺に会いに来たってわけじゃないよな? ちゃんとわかってここに来たんだよな?」 「悪い。ぽーんと忘れてた」 そういえば。親友である天河に会おうという考えのみで赤王宮に来たみたのだが、よくよく考えれば、れっきとした赤王家の王太女である婚約者(予定)もまたこの城の住人だった。 皇帝は「銀河姫とは会ったことがないだろう」と言っていたけれど、実は見かけただけなら、何度もあった。 天河を訪ねてやってきた赤王宮で、天河と同じ色の髪の少女を遠目に見たことなら、何度も。 ただ、直接に顔を合わせたことが、公式にも非公式にもないだけで。 婚約者となる、いずれは妻となる少女が同じ敷地の中にいる。 それに気づいた白夜が次に思いついたことは、ささやかな父親への反抗だった。 「なあ、銀河姫ってどこにいる?」 白夜がそう尋ねることを予想していたように、天河は特に驚いた表情も見せずに腰を上げた。 「ついてこいよ」 赤王城の一角、閑静な森の中の離宮。その中にある花に溢れた温室。 花の間を縫うようにして、天河はするすると温室の奥へと向かっていた。 背の高い花の陰に埋もれかける彼の背中を追う白夜を、花の香りが包み込む。香水のようにくどくはない、優しい香りは、白夜にとって厭なモノではなかった。むしろ好ましいとすら言える。 と、一瞬すぐ脇に植えられている花を避けようと屈んだ隙に。天河を見失ってしまって、白夜は途方に暮れた。 方向感覚は悪い方ではないから、道がわからないとは言わない。ただ、この城は白夜のテリトリーではない。たとえ皇太子の身分を持っているといっても、他人の城をたった独りで歩き回るのは――当たり前だが、あまり、いい気分じゃない。 せめて天河が住んでいる区画だったらまだ気が楽だったんだが、と考えながら天河の銀色の髪が見えないかと花の間から目を凝らす白夜の眼が、天河のモノとは違う銀色を捉えた。 その少女は、供の者もないままに独り、白く小さな花が満開に、まるで流れる滝のように咲き乱れる樹の下に立っていた。枝からほろほろと零れ落ちる花びらが、何枚か、彼女の髪を飾っていた。 彼女の名前を、白夜は知っていた。 「……銀河、姫?」 呼びかけの声は、確認の色の方が強く。少女は弾かれたように、銀色の長い髪を揺らして振り返った。髪に付いた花びらが、その拍子にいくつか零れた。 銀の髪に縁どられた色白の面差しの中で、印象的な光を放つ真紅の瞳に浮かんでいたのは、虚を突かれた時の驚きに似た表情。しかし、彼女はすぐにその驚きを隠すと、 「……どなた?」 と白夜に臆することなく、それでいて穏やかに不思議そうに問いかけてきた。 (……ああ) その眼が。その表情が。 白夜は、嫌いではなかった――もっと積極的に、好ましい、と思った。 「俺は――」 飾ることなく名乗った白夜に、銀河の眼が再び大きく見張られた。 その驚きの表情も心地よく眺めながら、白夜は。 これから彼女と過ごすことになる長い時間を、初めて楽しみに想った。
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