さよならユキウサギ(下)
眠れない夜はいつだって、つくりものの白いウサギの柔らかさに顔を埋めて、今まで殺してきた数を数えた。 忘れないように、忘れないように。 殺した人間の数を、剣を振るった血飛沫を、倒れゆくその死に顔を、地に落ちるその音を。 忘れないように、忘れないように。 己が心に、刻み直す。 そして、思うのは。 殺した相手のために涙を流したはずの、者たちのこと。 自分はいつか、彼らに殺されなければならないのだと。 大きく刀を振るい、付いたばかりの血糊を払う。 倒れた姿に、脳に刻み込んだ数字を一つ増やす。 周りを見てみれば、生きて立っているのは、もう自分だけだった。 彼は、そろそろ辿り着いた頃だろうか。 この争いの、おしまいの地へ。 彼を行かせるために、自分はここに残ったのだ。 だから、辿り着いていてくれないと、困る。 彼は、彼の仲間たちにとって、かけがえのない希望、そのものなのだから。 今日で、おそらく全てが終わる。 彼がきっと、全てを終わらせる。 その終わりが、万人にとっての終わりとはならないのだろうけれど。 少なくとも、彼を信じて付いてきた者、そして彼を悪と見做して戦ってきた者にとっては、紛れもない、おしまいの日だ。 そしてまた、自分にとっても。 近くの壁に寄りかかり、わずかばかりの休息を取る。 さすがに、無傷というわけにはいかなかった。 少し、血を流しすぎたかもしれない……今となっては、どうでもいいが。 そう、もうどうでもいい。投げやりではなく、ただ静かにそう感じる。 父を亡くし母を奪われ、幼かった胸を灼いた憎しみも。 いつの頃からか根付き芽吹き育っていった恋情も。 まだ確かに、この胸に刻まれているけれど。何故だか今は、どこか遠い。 いっそ、非常に平和な気持ちだ。 そう思う自分に苦笑する。 平和、とこれほどかけ離れた光景もないだろうに。 ああ、でも。 全てが終わった後、彼が見る世界に。 平和、と呼べるものが、築かれていれば、いい。 心から、そう思う。 自分がそれを見るつもりは、もうないけれど。 だいぶ、息も落ち着いた頃、遠くから響く複数の足音を耳が捉えた。 大丈夫だ、まだ動ける。 ゆっくりと、身を起こす。 血で塗れた手に刀を握り直したところで、ふと、苦笑が零れた。 まだ、幼かった頃。 初めて人を斬った日。 それまでいつも離さなかった彼に与えられた白ウサギのぬいぐるみを、 「汚れるから」という理由で置いてきた。 白は、汚れやすいから。 血塗れの手に、あの白ウサギは似合わない。 それでも、あのつくりもののウサギは。 ずっと長いこと、自分にとっての慰め、だった。 でも。 この手があのウサギに触れることは、もうない。 あのウサギも、今まで生きてきた中の優しい思い出も、全て置いてきた。 ここを、死に場所とするために。 最期まで共にあるのは、彼にもらったこの刀と。 憎しみと。 初恋と。 それだけでいい。 近づく足音に、彼女は澄んだ笑みを浮かべ。 刀を構え。 白ウサギと、それに象徴される思い出に、今一度、心の中で別れを告げた。 差し引きしても、悪くはない人生だったと思う。それで充分。 だから。 終わりのために、この命を捧げよう。
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