夕食の後、三人はこの古城を拠点とする傭兵たちを束ねる槐の部屋へと向かう廊下を歩いていた。 前述したように、この古城は世界各地に散らばる傭兵部隊の支部の一つだ。組織はそれぞれの拠点をまとめる支部長を置いている。槐がこの古城の拠点の長、というわけだ。 「鏡、月季、砂礫です。入ります、支部長」 目的の部屋のドアを軽く叩くと、中から快い「おう」という返事が聞こえてきた。少し重たい樫の扉を開くと、中ではちょうど、槐が壁に並べられた本棚に本を戻しているところだった。 「よく来たな。砂礫、月季、今日はデートだったらしいじゃないか」 「あんまり言うと、支部長でも殴りますよ? 用ってなんですか?」 にやりと笑う槐に、月季が冷たい視線を返す。「おっかないなあ、月季は」と肩を竦めて。槐は部屋の奥の窓辺にあるデスクに座った。月季たち三人は、何を言われるまでもなくその前に並んで立つ。先ほどとは違う真面目な顔で、槐が言った。 「――本部から、『世界の果て』へ送る人材についての打診があった。今年度は、このエルスティン支部から候補を出すことになった」 月季たちの間に緊張が走る。槐の言葉は、彼らにとってはとてつもない重みがあった。 『世界の果て』を目指す者は少なくない。かつて、地界の各国は競うように『世界の果て』に人を送り込んだ。『世界の果て』にあると思われる何か、価値があるかもわからない何かの利権を、いち早く手に入れるために。しかし、ただいたずらに人材を消費するだけの時代は過ぎ去り、各国は今では地界の全てで活躍するある組織に、『世界の果て』の探索を委任するようになった。 傭兵部隊『エルドラド』――三人が身を置いている、この組織に。 エルドラドでは年に一度、各地にある支部の中の一つから実力があると認められたものを選出し、『世界の果て』へと送る。その順番が、今年はこのエルスティン王国の支部に回ってきたと、槐は言っているのだ。 「俺は、お前たち三人を推そうと考えていたんだが……」 そこで言葉を切ると、槐は、らしくもなくため息を吐いた。 「気が変わった」 「ちょ、なんですかそれ!」 「何それ、どういうこと!?」 「おい、レキ! 月季も!」 予想外の台詞に、砂礫と月季は思わず音を立てて槐のデスクに手のひらを叩きつけた。それを窘める鏡の眼も、一瞬前には驚きに見開かれていたのだが。今は鋭く、槐に注がれている。 「どういうことですか、支部長。俺たちじゃ力不足だとでも?」 「いや、『世界の果て』に送るには、お前たちの力は充分以上だと思ってる。だがなあ」 槐は幾枚かの紙束を取り出すと、三人に見えるように広げた。砂礫と月季も、しぶしぶと手を引っ込めて、鏡と一緒にその書類を覗き込む。 「まあ、お前らも知ってると思うが、『世界の果て』に送る人員の候補は、本当にその実力があるかどうかを試されるんだがな。その適性審査の内容は毎年違う。で、これが今年の審査の内容だ」 槐が示した書類の箇所をざっと読んで、鏡が不審げな顔で槐を見返した。 「『ユージス港から海路でシェニファに向かう』――で、その後は?」 「それだけだ。今回の試験内容はユージス港を出発し、無事にシェニファ島に辿りつけば、合格だ」 シェニファは氷河大陸アルバースに近い島で、特有の涼しい気候によって避暑地として知られている。一方のユージス港は、彼らの住む町からは程近い場所にある街の港だ。一応あちこちへと向かう商船、旅船などの発着場にはなっているものの……お世辞にも大きい港とはいえない。 「ユージスからの海路に、最近魔物が住みつくようになったんだそうだ。それ以来そこを通る船はほとんど全滅してる。それくらい厄介な魔物らしい。いつもの年なら、その魔物を倒すとかなんだがな、それすら無理だという見解が、ウチでもエルスティン王国としても主流になっている。国としちゃあ、ユージス港の閉鎖すら、考えているらしい」 「閉鎖って……いったいどんな魔物が」 魔物にも強弱のランクがある。住処に近付くモノを全滅させる魔物など、かなりの上位になるはず。今回の魔物は、まさにそれに当てはまるだろう。 「調査隊は送られたが、見事に壊滅したそうだ。つまり、情報らしいものはほとんどない」 そして、大きく息をつくと、槐は改めて三人を見た。 「正直、俺はお前たちを送りたくはない。死なせるには勿体ない人材だからな。お前たちじゃなくても、大事な部下をこんな無茶な、死ぬのがわかってるような場所に送れるか。仕事の依頼ならともかく、依頼以前の適性審査で死なせるなんてなあ」 だが、と槐は続けた。 「だが――お前たちは、このためにエルドラドに入ったんだろ? 今回の打診を断れば……おそらく当分、下手すりゃ金輪際、エルスティン支部には『世界の果て』へ送る候補の順番は回ってこなくなるかもしれねえ」 エルドラドには、エルスティン支部以外にも各地に多くの拠点がある。毎年の『世界の果て』への派遣人員は、そのうちの一つから出される、というのがエルドラドの基本的な方針だ。稀に、強く希望した人間が選出されたチームに組み込まれることもあるが、それはかなりの例外に等しい。輪番制で回る順番は、何年かに一度は各支部に回ってくるようになっているが、今回を断れば、エルスティン支部に次はないかもしれない、と槐は言っているのだ。 「……前例でも、あるんですか?」 「ああ、だいぶ昔のことになるが、やはり死が確実と思われる危険な審査だった時、そんな死地に部下はやれんと言った支部があったらしい」 槐は、とある小国の名を上げた。 「今でもなかなかの精鋭揃いの支部なんだがな。それ以来、あそこに順番が回ったことはない」 砂礫は呆然として槐の言葉を聞いていた。月季も似たようなもので、鏡もまた考え込むような表情だ。 槐の言うとおり、砂礫たち三人がエルドラドに入ったのは、ここが『世界の果て』への探索を依頼された組織だったからだ。幼馴染三人は、小さい頃から互いに誓い合っていた。いつかみんなで、『世界の果て』を見に行こうと。 今も色鮮やかな思い出に、砂礫は強く、拳を握った。 「……俺は、それでも行きたいと思う。でも、お前たちに強制はできない、死ぬかもしれないんだし」 ぽつり、と呟いた声に、月季ははっとした様子で、鏡はゆっくりと、砂礫を見た。 「おいおい。まさか死ぬ気じゃねえだろうな。命あっての物種だぞ」 「違います。俺は、生きて『世界の果て』を目指したい。そのためなら、その無茶な審査だって挑戦する、いや、挑戦したい。そうしないと『世界の果て』にたどり着けないなら」 砂礫にだって迷いはある、死にたくはないと思う。でも、それ以上に。 『世界の果て』を見たいと願う心が、砂礫を突き動かす。 「そうだよね、やらずにする後悔より、やった後の後悔だよね、人生はやっぱ!」 「ま、後悔する気はないけど、後悔もできない状況に陥らないようにするのが俺の役目だしな、昔から」 続く月季と鏡もまた、砂礫と同じ感情を共有している、はずだ。 槐は三人を順に見やると、諦めたように首を振り。 「だ、そうだ。あんたはどうする?」 続きの間へとつながる扉に、声をかけた。 何の気配もしなかった扉が、わずかな軋みを立てて開かれる音に、三人の間にさっと緊張が走った。気付かなかったのだ、傭兵としてそれなりの経験を積んできた三人ともが。そこに、もう一人の人間が存在していたことに。 現れたのは、背の高い、二十代半ばと思われる、見慣れない砂色の髪の青年だった。 「はじめまして、みなさん」 「彼は蔡軌。本部から派遣されてきた、『世界の果て』への派遣要員の志願者だ」 青年は印象的な青灰色の瞳を細めて笑った。けれど、彼の何気ない仕草の一つ一つに一分の隙もないことに、三人は気付いていた。 「蔡軌……って、あの?」 「鏡、知り合い?」 「え、まじで?」 鏡が呟いた声に、月季が反応する。砂礫もまた、首を傾げて鏡を見た。 「知り合いっていうか、逆にお前ら知らないのかよ。本部の蔡軌っつたら、エルドラド一、二を争う手練だって噂だろ。イーズノヴァ戦役とか、アイズ内乱とか、ああいった大規模な戦乱でも手柄上げてる傭兵中の傭兵、だ」 「いやいや、僕なんか大したことありません。たまたま運よく、死なずに済んでいるだけですよ。こちらこそ、そちらのチームの噂は兼々。数々の依頼で冷静な分析で作戦を立て、その作戦を実行するだけの力量も併せ持つチームだと。それに」 またも呆れたように言う鏡と、眼の前の人物の来歴に驚いている砂礫と月季に、蔡軌は笑顔のままで手を振ってみせ。 「『最強の傭兵』のお嬢さんにお目にかかれるとは、光栄ですよ」 そう、続けられた言葉に、月季があからさまに顔を顰めた。何か言おうと口を開いた月季よりも早く、応えたのはやはり鏡だった。 「謙遜しないで下さい。『守護憑きの蔡軌』といえば、どんな戦役でも掠り傷程度で成果を上げている、知らないこいつらの方がおかしいような有名人でしょう。後でしっかり教育しておきますんで。それより、志願者ということは――俺たちのチームに編入される、ということですよね? 貴方もこの審査を受けることは了承していると?」 こちらも笑って返した鏡の声が、急に真剣味を帯びた。対する蔡軌も、表情を改める。 「はい。僕も今回の審査はさすがにやりすぎとは思うんですが、どうしても志願したい理由というのがありましてね。貴方たちもこの審査を受けると言うなら、僕も貴方たちのチームに入れてもらうことになります。僕が参加することは、すでに本部でも受理されているので、貴方たちが断るなら、また別のチームに――それか、来年度の審査に参加、ということになります」 「まあ、俺たちが志願するんですから、他のチームに編入する必要はありませんよ。それより、本部の方がいるならちょうどいい」 鏡がすっと笑顔を消し、その灰銀の瞳を細めた。 「さっきから不思議だったんですよ。この『世界の果て』への審査、例年のものはこんな、確実に死が予想できるような内容ではないですよね?」 砂礫も月季も考えていた質問だった。三人とも、『世界の果て』を目指す者として、過去の審査の内容に関する文献にも目を通している。槐だって、気付いているはずだ。この審査の不自然さに。 そして――砂礫を始めとした三人には、ある予感があった。 何かを言いかけた槐を手で制して、蔡軌は意味深な笑みを浮かべた。 「そのとおり、今回は異例です。とある筋から、強い介入がありましてね」 その瞬間、三人の脳裏をよぎったのは、一人の女性の姿だった。
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