「まさか、こんなとこにまでちょっかい出してくるなんてさっ! も、信じらんない」
話が終わった後、三人は槐の部屋を辞し、彼らの居住区に戻っていた。三人以外、誰もいなくなった部屋で、月季は一人憤っている。
「まあ、しつこいお人だとは思っていたけどね、まさかここまでとは」
苦々しく呟くのは鏡。腕組みをしながら壁によりかかり、冷たい眼のまま空を睨み。
そして、砂礫は。

椅子に座ったまま、微動だにしていなかった。組んだ指を額に当てて、何を考えているのか、それすら、窺わせずに。

「……すまない」
ぽつり、とささやくように発せられた言葉。
「レキが謝ることじゃないじゃんか。こうなったら、何が何でも成功させてやんなきゃだよ。目に物見せてやろうじゃん!」
それに即反応したのは月季。
「だけど……俺のせいでお前らに面倒な審査にあたらせちまって……悪い、月季、鏡」
「レキ……」
言うべき言葉が見つからず、月季は黙りこむ。月季と砂礫の間の空気が固まったのをみて、小さく小さく、聞こえないように舌打ちしてから、鏡は壁から背を離した。
「とにかく、今日はもう休もうぜ。いろいろあって疲れたのが、後に響いたらことだからな」

精神的なダメージは、体の方も疲れさせるからな、さっさと寝ろ二人とも。俺も寝る。

そして鏡は、手近にいた月季の背を押して、月季の部屋の扉の方へと向かわせた。
扉から外へ出る一歩手前で、鏡の大きめの手が、月季の頭をぽんと叩いた。
「大丈夫だから」
その一言で、慰められたような、さらに落ち込んだような不思議な心地になって、月季はふらふらと自室へ入った。
やはり疲れていたらしく、ベッドに横になった途端、思考がはっきりと定まらなくなる。
鏡はよくわかっているんだなと、こんなところで納得して、そのままうとうとと浅い眠りに身をゆだねる。
しばらくして、どこか遠いところで砂礫の部屋の扉が閉まる音を月季は聞いて。それを最後に、彼女の意識は闇に落ちた。






月季が去った後、鏡が砂礫に言った言葉も、月季に対してと同じか、せいぜい少しだけ長い程度の短さだった。
「もっと、信じるってことを覚えな。俺たちは、こんなことにゃ負けやしないって」
そう言って、肩を叩くと、鏡は部屋から出て行ってからも、しばらく砂礫はぼんやりと座り込んでいた。

信じるとは、何を信じれば良いのだろう。
自分は信じていないのだろうか。鏡や月季のことを。
そんなことはないと思うのに。それを言いきるよりも先に、頭を占めてくる想いが、思考をまとめようとするのを邪魔してくる。

「あなたは……ここまで俺が目障りなのですか?」
意識せず、問いかけが零れ落ちる。向かう先は、記憶の中の一人の女性。先ほど、蔡軌の話を聞いた時から、ずっと脳裏を占める面影だ。



彼女はいつも自分に、そして自分の母に憎悪の目を向けていた。父という人が側に居る時には、優しい表情で。側に居ない時には、あからさまな嫌悪の表情で。けれども、その眼に浮かぶモノは、いつもいつも同じだった。
砂礫の父は、息子には興味など無いようで。父の興味は砂礫の母である美しい女性にだけ向けられていた。それでも彼女は、母だけでなくその息子である砂礫のことも憎んでいた。あの母から生まれた子だというだけで、彼女にとって、自分は憎むべき存在だったのだ。
もういい加減、自分に拘るのはやめて欲しいのに。母を殺されたあの日に、もう自分と、父と、そして彼女とは、もう関わりの無いものになったはずだと、少なくとも砂礫はそう考えているのに。
せめて憎むなら、殺そうとするのなら、自分だけを狙えばいいのだ。あんな女の自己満足のために死んでやる気なぞ、さらさらない。しかし、月季や鏡を巻き込むことなど……絶対に、許さない。
そのために、死なないため殺されないためにするべきことを、砂礫はずっと考えていた。母が死んだ――あの女に殺された日から、ずっと。



あの日の自分は、今よりももっと子供で。父と縁を切れば、二度と会わなければ、それで終わりになると思っていた。だから、『世界の果て』を目指した。何のしがらみもない、新しい世界に行けば、それで自由になれるのだと思っていた。
砂礫がそう決め、仲間達にそう告げた時、鏡は言った。お前は逃げるのか、と。あの時は、そうではないと答えられた。争いを避けることは、これ以上自分も他人も傷つけられることの無い、最善の解決策だったから。だと、考えていたから。
だけど、今なら。あの時、鏡の言いたかったことも判るような気がする。父や彼女との関わりを絶ち未知の場所に行くということは、それまでにあった問題を未解決のまま放っていくということ。自分も他人も傷つかずには済むだろう、けれど。

逃げ、なのだ。

そうと自覚してしまうと、後はただただ後悔ばかりが胸を刺す。結果として、仲間を巻き込むことになってしまった、そうしてしまった自分を責めて。
心だけでなく体さえも雁字搦めになっている、そんな錯覚さえ覚える。
「だけど、俺は……」
だけど、砂礫には。
逃げではなく、ただ純粋に未だ見ぬ土地を思う心も、確かに息づいていて。
「俺は……」
いつまでも出ない答え。
幾度も胸に蘇る、あの日の誓いと、青い空。
迷う心は人間故のものなのだろうか。
堂堂巡りの心の迷路から出られぬまま、砂礫の夜は更けていった。






月季、砂礫、鏡のチームが『世界の果て』への派遣のための審査を受けるという話は、またたく間にエルスティン支部に広まった。もとから三人が『世界の果て』を目指していることを知っていた支部の仲間の面々は、最初は祝ってくれたものの、審査の内容を知ると一転してやめろやめろと忠告してきた。が、もちろん三人が今さらそれを聞くはずもなく。本部にも槐の方から正式に三人を推挙する旨が通知され、そして問題なく受理された。
審査までは多少時間があり、その間はチームに編入する蔡軌と、簡単な依頼をこなす日々だった。蔡軌はさすが審査を受ける希望が通るだけあって、確かな実力の持ち主だった。細かい内容は省くが、三人ともうまく連携し、さらに依頼の遂行能率も上がるという溶け込みっぷりで。蔡軌を含めたチームで審査に向かうことに、ほとんど不安はなくなっていた。

そして。
あっという間に、旅立ちの日がやってきた。






いつかの日のように晴れ渡った空を、鏡は見上げていた。空は、どこか嫌味なのではないかと思うほどに高く高く澄んでいて。ユージス港までの足となる軽トラックの荷台の上で、鏡はぷかぷかとタバコをふかしていた。
砂礫も月季も、まだ古城から出て来ない。蔡軌も、まだ。きっと、成功を祈る仲間たちにとっ捕まっている――もとい、激励されているのだろう、鏡はうまく逃げてきたが。出立が面倒になるから見送りはいいと断ったものの、もう二度と帰ってこないかもしれない(縁起でもないが、その可能性は非常に高い)仲間との別れを、みんな惜しんでくれているのだろう。
それは、鏡には理解の出来ない感情だった。だから逃げたのかもしれない。もう、昔の話になるけれど、かつての鏡の生活は、一ヶ所に留まることの無い暮らしだった。だからだろうか、今でも鏡にとっての『家』『住処』とは、とりあえずその日眠ることの出来る場所、というのと同義だった。むしろ、自分がこんなに長く一つの場所に、この古城に住んでいたということを実感して。鏡は我ながら信じられない思いを持った。
こんなことを考えるなんて、自分も随分感傷的になっているなと考えながら。

……そして、二人にはまだ告げていない、蔡軌についての根も葉もないと思われる噂について考えながら。

しばらくして、砂礫が出て来た。背には最小限の荷物。そして、腰のところに、輪を作って括り付けられた多節鞭。この、普段は多節鞭の形をとった呪機こそが、砂礫の武器。



呪機とは、それを扱う才能をもつ者だけが使える、特殊な武器。その形状も使用も様々である。現在、一般に出回っている呪機のほとんどは、人工的に創られたモノ。武器としての用途以外のモノもあり、誰でも扱うことが出来る様にと専門の技術者によって設定されている。けれど、それ以外にも、使用者が限定される呪機というものも、存在する。
それは、太古の昔から存在してきた呪機。人の手ではなく、神の手によって造られたと云われる呪機だ。砂礫の呪機、そして月季の呪機も、それに当たる。
砂礫の武器である『星蛇』は、砂礫の呪の力に反応し、その意思のままに五つの形態に姿を変える。
しかし、古代呪機を使うことの出来る才能を持つ者は滅多にいない上、その才能さえも何らかの制約を受けているのだ。制約は、個々の呪機で異なってくる。砂礫の場合は、呪機を使うのには、その呪機に己の血を与えなければならない。その血が多ければ多い程、呪機は力を発揮する。つまり、砂礫が呪機を使って戦う時は、何らかの傷を抱えての戦いとなる。しかし、それはまだまだ楽な制約だ。軽い怪我くらい、砂礫なら充分自分の技量で補える。砂礫の呪の才能は、かなり弱い部類に入るものだから、制約もこの程度で済む。
逆に、月季の呪機使いとしての才能は、おそらくエルドラドの歴史の中でも、五本の指に入ると言われている。実際、月季がエルドラドに入ることを許されたのは、この才能によるところが大きい。けれど、力が強いということは、当然受ける制約も大きいということ。月季の能力に架せられた制約は――月季自身の寿命。だから月季は、なるべく己の呪機を使わない。普通の武器、あるいは人工呪機を使うことで、今までの依頼はなるべくこなすようにしてきた。しかし、今回はそうもいかないだろう。



「月季は?」
煙草をふかし、空を見て。その姿勢を崩さないまま、視線だけ、砂礫に向けて問い掛ける。
「もうそろそろ出て来るだろ。例のモノ相手に四苦八苦してたけどな」
「砂礫、鏡っ! ちょっとこれ積むの手伝ってよ」
大きな荷物……月季の呪機、その一部を抱えながら、最後の一人が入り口に現れる。



そう、月季の呪機には、こんなところでも問題点がある。非常に大きいのだ。大きくて、かさばって、その能力を発揮していない状態では、持ち運びに不便なのである。本来なら、砂礫達三人と、それと蔡軌を運ぶのなら、何も軽トラックでなくても良かったのだ。そこをわざわざこの軽トラックを借りてきたのは、偏に月季の呪機の数々を運ぶため。
様々に不便な月季の能力ではあるけれど、その能力を発揮出来る場では、それまでの不便さを補って余りある程。月季の命を代償としないのなら、もっといいのだけれど。



嫌味なくらい晴れた空の下、わいわい騒ぎながら荷物を積み込んで。
まるで遠足気分ではしゃいでみたり。
再びここに帰って来られるかは判らないけれど。
必ず帰って来ると宣言するなんて子供っぽいことは、する気になれない。そもそも、それが希望的観測だということは重々承知だけど。
それでも、なんとなく、死ぬような気はしなくて。
晴れた空の下、何だか良くわからないけれど、無性に気分が良かった。






そして、荷物を積み終わって。後は、蔡軌を待つだけとなった時。
鏡は、ずっと気にしていた、蔡軌に関するもう一つの噂を、砂礫と月季に打ち明けた。
それによって蔡軌に対する不信感が芽生えるのは、これから審査を共にする上で、あまり良いことではないけれど。それでも、知らせておいた方が良いと思ったから。



本部の凄腕の傭兵、蔡軌は。数々の修羅場を、たいした怪我も無く潜り抜けてきた『守護憑き』と呼ばれているけれど。あまりにも多くの死地を、あまりにも奇跡的に潜り抜けてきた彼に対して、恐れを抱く者も多かった。そして同時に、ある噂が広まり始める。

すなわち。



『守護憑き』と呼ばれるあの男は、本当は『守護憑き』などではなく。真に彼を護っているのは……魔界のモノ、なのだと。











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2011.04.02