「つーかーれーたー!」 「おーれーもー!」 青空に、無駄に大きな叫び声が響く。 「お前ら、ガキ?」 陸地が見えなくなった途端に、ぐだあっと敬礼を解いて叫びだした月季と砂礫に、呆れを含んだ鏡の声が掛かる。 「お前は疲れなかったのかよ、あんっな堅苦しい見送り儀式」 船の縁に頬杖を付いた砂礫が、上目遣いに鏡を見遣る。その横で月季もそうだそうだというように頷いている。 「疲れたに決まってんだろ。でも、お前らみたいにガキっぽくないだけ」 「ひどっ!」 「……でも口喧嘩の内容は同レベルな気がするね、私は」 にこやかに笑いながらの蔡軌のツッコミに、鏡はむっとしつつも言い返せなかった。 「やーい、同レベル〜」 「……月季、それは自分がガキだって逆説的に認めてるぞ」 囃し立てる月季の頭にぽんと手を置いてから、砂礫は蔡軌達の方を見た。 「あと……三日か?」 「まあ、今までの統計からいけばな。データでは、一日目の距離でもう現れたって記録もある」 例の魔物の出現時期は、船の呪機に備わっている港への連絡状況から見て、大体ユージス出航から三日目という距離に一番多い、というのが鏡の調べてきた結果だった。ついで二日目、そして言ったとおり、少数だが一日目の距離で出現したこともあるらしい。シェニファまでは、天候に恵まれれば、船で四日の距離。つまり、魔物の出現場所は、どちらかというとシェニファに近いのだ。 「先に出るのと後から出るの、どっちが良い?」 蔡軌がふと思いついたように聞いてきた。何が、とは言わないが、何を指しているのか分からない訳は無い。 「なんか他人事っぽくないか? あんた。……そうだな、後半希望」 「あ、僕、先の方が良いな。早く済ましちゃいたいし」 「うーん……、間を取って二日目が良いな、俺は。一日経てば、船に体も慣れるだろうし。で、何で?」 三者三様の答え。それに蔡軌はちょっと微笑んでから、砂礫の疑問に答えた。が、それは余りにも予想外のモノだった。 「賭けません? いつ出るか」 『……は?』 三人とも、一瞬耳を疑った。 「いや、だってただ待つだけじゃストレスが溜まるからね。どうかな?」 「どうかな、じゃねーだろ! 俺たちにとっちゃ生死の問題なんだぞ!?」 「私にとってもそうだよ。じゃなきゃこの船に乗ってない」 食って掛かる鏡に、蔡軌はさらりと言い返した。そう言われてしまうと、全くの事実なので反論の余地は無い。 「で、どうする? 私は三日目に賭けるけど」 結果。三日目に二人、二日目に二人。 そして、月季達の心には、『蔡軌は変わり者だ』という認識がくっきりと植え付けられた。それでも結局賭けに乗ってしまったあたり……彼らも、他人のことは言えなさそうである。 ゆらゆらと、波が揺れている。もう日が沈んでから大分経つので、昼間は青かった海は、今は黒っぽく見える。 今のところ、魔物は現れていない。海は至って静かだ。けれどこの静けさも、いつ破られるかは分からない。そう、今、この瞬間に破れたっておかしくはないのだ。 「……ストレス溜まるなあ」 賭けをしたところで、いつ現れるか知れない魔物を待ち受けるストレスが減る訳ではない。月季は今、しみじみとそう感じていた。 「よう、何してんだ?」 背後から掛けられる声。それが誰なのかは、聞かなくても分かる。 「んー? 海見てる……」 「休んでなくていいのか? 見張りの当番、俺からだろ?」 そう言って、砂礫は月季の隣に並んだ。 少し早めの夕食は既に済ませた。その後、全員で話し合って、不寝番の当番を決めたのだ。いつ現れるか分からない魔物に対して、全員が眠ってしまうということは出来ない。かといって、全員が寝ずの番をする必要もない。何より、もし魔物が出た時に寝不足だったりしたら、出せる力も出し切れない。そうして決めた不寝番の順番は、砂礫、鏡、月季、蔡軌の順だった。 「いや、そういうんじゃなくてさ、ただ見たくなったんだ、夜の海」 月季の答えに、砂礫がくっくと声を立てて笑った。 「なんだよ、何かおかしいのか!?」 ちょっとムカッとして、月季は砂礫を睨み付けた。 「んにゃ、なかなかロマンティックなこと言うなあと思ってさ」 「うるさいな」 まあ、確かに、ただ海を眺めていたいだけ、というのは、我ながらいつもの自分らしくはないと思う。でも、例えば男だったとしても、そういう時はあるものじゃないだろうか。 そんな風に、いろいろ反論したくはあったけれど、月季はそれらの言葉は飲み込んで、ただため息をつくに留めた。一昨日からの会話を――銀河との会話を思い返すと、反論すればしただけ、墓穴を掘りそうな気が、する。とても、する。 「あ、そういやさ。今朝の出航前の時、女の人、来てただろ? 僕が小鳥預けた人」 不意に思い出して、月季は言った。思い出したと同時に、あの時感じたもやもやした気持ちまで復活してきて、無意識に眉根を寄せる。 「ん? えっと、どの人だ?」 そんな月季の表情には気付かず、砂礫は思い当たらない様に首を傾げた。 「ほら、なんか見送りの前に楽しそうに話してたじゃんか。僕と同じくらいの背で、髪の長い……」 「あ、分かった分かった、あの人か。そっか、あの人なんだ、お前が小鳥預けたの」 「そうだよ! で、何話してたんだ?」 納得したらしくぽんと手を打った砂礫に対して、月季はどこかいらいらと問い掛けた。砂礫も今度は、その月季の様子に気付き。にやりと笑って、こう聞いた。 「何? もしかして、月季、妬いてる?」 「なっ……!?」 いつもなら。 そう、いつもなら、ここで月季は「そんなことない!」と言い張るのだけれど。 一体、何故かどうしてか。今回に限り、月季は――夜目にも判る程、赤面してしまったのである。何か言おうとしても言葉にならないらしく、真っ赤になりながら口をぱくぱくしている月季に、砂礫は唖然とした。 「え? 嘘、マジで……?」 そうして絶句した砂礫の顔も、見る見るうちに赤くなる。 二人の間を、夜風と共になんとも言えない空気が流れた。どこか気恥ずかしくて、どこか……幸せな。 「ぼっ、僕、もう寝るからな!」 そんな空気に先に根を上げたのは月季だった。ばっと身を翻して、船室の方に駆け出した月季の背を、砂礫が慌てた様に呼び止めた。 「あのな、月季! あの人、積荷の忘れ物を届けに来て、それで俺達に頑張ってくれって言ってくれただけだから! 俺が好きなのはお前だけだかんな!」 その声に、月季はちょっとだけ振り向いたものの、結局何も言えずに船室に飛び込んだ。 しばらくして。 不寝番に出てきた鏡が見つけたのは。 「……何してんの、お前?」 真っ赤な顔のまま立ち尽くしている砂礫だった。全く見張りになっていない。
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