辺りは暗闇で、ここがどこなのかはさっぱり判らない。ただなんとなく、ここが閉じられているのだと、それだけは判る。そんな状況で、銀河は目を覚ました。 とにかく体を動かそうとするものの、充満した不可思議な香りに、体中の力が抜けていく。 何か、催眠効果のある薬のようなものだろうか。 頭までぼんやりする中で、それだけ考えつく。しかし、ここに至るまでの経緯が、皆目思い出せない。 最後の記憶は、鳥篭越しに見た、去っていく月季の後ろ姿。 そう……自分は、月季が『課題』に出かけていく間、預けられたのだった。優しそうで、けれど、どこか寂しい悲しい瞳をした女性に。ならば、ここはあの女性のいる建物のどこかなのだろうか。 だったら、今のうちにここから去らなければならない。月季には悪いけれど、銀河には、月季の帰りを待っているつもりはなかった。もう、十分迷惑をかけてしまった。けれど、これ以上は――追っ手が、自分の所在に気付く前に。自分の属する世界の、醜い争いに巻き込んでしまう前に。 そこまで考えて、銀河はぞっとした。 もしかしたら、自分はもう、奴らの手に落ちてしまったのではないか。だとしたら、後は……。 殺されるだけ。 逃げようと、逃げるために暴れようと、小鳥に変わった体を動かそうとして……その試みは、やはり無駄に終わった。 薬――多分確実にそうだ――で動かない体も、ぼうっとした頭も、何故だかぐらぐらと揺れているような気がした。 「おい、月季」 抑えられたその声に、月季は目を覚ました。 「う……鏡かあ」 「寝ぼけてんなよ。交代だ、交代」 うーんと伸びをしてから、月季は起き上がった。それを確認して、鏡は部屋の外に出て行く。 「……あれ?」 見張りの時間が終わったのなら、後は朝まで――魔物が出なければ――寝るだけなのに。どうしたのだろう、あいつは。 「鏡?」 既に甲板にまで出ていた鏡を追いかける。一面の星空の下、鏡の姿は、どこか黒い影を思わせた。 「単刀直入に聞くが、お前何かあったのか?」 他の人間に聞かれる心配のない場所での鏡の第一声に、月季は言葉を失った。 「何かって……なんだよ、突然」 なんとか言葉を搾り出したものの、動揺していることが丸わかりの声になってしまった。そうでなくても、この幼馴染は鋭すぎて扱いに困るというのに。 「さっき、砂礫がタコみてーに真っ赤になって固まってたからさ。あいつがあんな風になんのは、十中八九お前が原因だろ?」 ……全くもって、鋭すぎだ。 「別に……鏡には関係無いじゃんか」 そっぽを向いて、月季は言う。その横顔に、予想通りの反応だと、内心苦笑しながら、鏡は言った。 「ま、確かに関係無いけどな。でもな月季、俺達はこれからどうなるか判らない。だから……後悔だけは、すんじゃねえぞ」 言うだけ言って、鏡は船室に引っ込んでいった。……その背中を、月季が呆然と見たのを知らずに。 「なんだって……皆して」 皆して、同じことを、同じ調子で言うのだろう。 そう呟いても、誰も答えない。 仕方なく月季は、未だすっきりとはしない心を抱えたまま、不寝番についた。そうして想いを馳せるのは――全く同じことを言った幼馴染と小鳥、そしてその対象となる、もう一人の幼馴染。 心配しなくても、交代の時間まで眠れなさそうだ。 翌朝、一晩明けて。月季はもう、どんな顔をして砂礫に会えばいいのか判らなくなってしまっていた。 なので、実際会ってしまえばなんとかなるかもしれないと思い食堂、兼会議室となっているこの船で一番大きな部屋へと向かった月季だった。が。その開け放たれた扉の前で、ばったり砂礫と遭遇するとは……予想外、だった。 「お、おはよ……」 「お、おう……」 この遭遇が予想外だったのは、砂礫も同様だったらしく、お互いにしどろもどろとした挨拶を交わす。 「二人とも、何そんなところで固まってるのかな? 入ってきたらいいじゃないか」 挨拶したきり、二人して動くことも出来ない膠着状態に陥ってしまったのだが、既に部屋にいた蔡軌が声を掛けたことで、ようやく部屋に入ることが出来た。 「あれ? 鏡は?」 部屋に入ったところで月季は、いつもなら三人の中で一番の早起きである鏡の不在に気付いた。月季が気付いたということは、当然砂礫も気付くということで。 「ああ、鏡なら居ましたよ、今、下に」 「そっか、ならすぐ来るな」 砂礫の疑問に、快く答える蔡軌だったが。そして、それに納得している砂礫だったが。 イマシタヨ、イマシタニ。 ……これは、意図的なギャグなのだろうか。というか、蔡軌はギャグを言う人なのだろうか。 月季から見た蔡軌という人物は、最初に会った時から、なんだか飄々としていて読めない人物、だった。だが、課題が始まってからこっち、謎の賭けを言い出したりして、なんだか読めないというより、ワケ分かんない人間のような気が、しつつある。 「そうだね。でもね、二人とも。今の台詞は笑うところなんだけどな〜」 ちょうどその時、やってきた鏡が見たものは。 「やっぱりギャグかよ!」 と、怒鳴っている月季と、怒鳴られながらにこにこしている蔡軌。そして、一拍遅れてげらげら笑い出した砂礫だった。 この瞬間、月季の中での蔡軌の評価は、『ワケ分かんないし分かりたくもない奴』になった。 「あれ、それ何?」 騒ぎも一段落し、全員が仲良く――というのは、つまり言葉のあやで、月季はまだ不機嫌そうだった――食卓についた。ちなみに本日の食事は、鏡のお手製。そこで、月季がテーブルの隅に見つけたのは、鏡がどこかから持ってきたらしい箱だった。 「ん? ああ、これさ、醤油が見当たんなくて、地下の貯蔵庫見に行ったらあったんだ。なんなのか分かるか? 蔡軌」 そう言われた蔡軌は、鏡からその箱を受け取り、耳の横で振ってみたりしたのだが、答え(らしきもの)が返ってきたのは、別の方向からだった。 「あ、それだ。忘れ物って、出発前に持ってきたヤツ」 そう言って、砂礫は目の前の野菜を一口頬張った。 この台詞に、ああなるほどと思ったのは月季だけで、あとの二人は訝しげに眉を顰めた。 「なんだ、それ?」 「聞いてないですけど?」 砂礫は、とりあえず口に入れていたものをもぐもぐと飲み込んでから二人に答えた。 「あれ? 聞いてなかったか? 出航するすぐ前に女の人が届けに来たんだけど」 鏡がいいやと首を振る横で、蔡軌は変わらずに眉を顰めていた。 「なんだか、気になるな、それ。まあ、食事が終わったら調べてみますか」 そして蔡軌は、手の中の箱を自分の皿の脇に置いた。 食事は済んだ。魔物が来る気配もない。 という訳で、食事に使った皿などを綺麗に片付けたテーブルの上で、蔡軌が例の箱を開けようとしていた。 「なあ、何がそんなに気になんの? ただの荷物みたいに見えるけど」 口ではともかく、興味津々といった様子で月季が蔡軌の手元を覗き込む。その更に横から砂礫も同じようにして見ている。体が微妙にくっつく度に、一々ぱっとさり気なく――と本人達は思っている――離れるのは、ご愛嬌だ。 「もし荷物に過不足があるなら、最終的に荷物の管理を任された私に報告がなければおかしいんだよ。それでもって、私への報告はありませんでした」 淡々と言いながら、蔡軌は手の中で弄っていたその箱を、今度はテーブルの上に置いた。 「つまり、何か俺達に不利になるものが入ってる可能性があるってことか?」 「そゆこと。……うーん、かなり密封性が高いな、これは」 鏡の問いに答えながら、蔡軌は席を立って部屋を出た。すぐに戻ってきたが、その手には出た時には持っていなかった工具入れを持っていた。 「って、おい。ならこんな室内で開けようとするのはまずくないか!?」 二人の台詞を聞いて、砂礫が慌てたように言う。 「え、何で……って、そうじゃん! 爆発物だったらどうすんだよ!」 一瞬置いて月季もその意味を察した。もしも……もしも、自分たちを確実に殺したいなら、この審査の最中に何らかの手段をとるのが一番手っ取り早い方法だろう。 「ま、大丈夫じゃないかなと……お、開いた開いた」 ぱかっと音を立てて、箱の蓋が開かれた。その途端、周囲に流れ出す異臭。 「うわ、なんだこれ!」 「皆、鼻塞いで。これ、催眠薬の一種です」 蔡軌の言葉に、全員慌てて口と鼻を塞いで、窓を開け放つ。その間に蔡軌が、箱の中にあったモノを取り出す。 『あれ……? ……月季?』 その声に振り向いた月季は、目を見開いた。 「……銀河!?」 蔡軌の手に中にあったのは、陸に置いてきた筈の、銀の羽を持つ小鳥の姿だった。 「あと少し……あと、少しだ」 くつくつと。彼は一人肩を揺らして笑った。 打てる手は打った。あとはその結果を見るだけ。そうして……。 「そうして誰にも知られずに、魔物の餌となるがいい……」
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