「なんで? あの人、なんでこんなこと……」
月季は混乱していた。砂礫は、銀河を預けた女性がこの箱を持ってきたと言った――銀河のこと、ちゃんと預かると言ってくれたのに。
「安心しな、月季。別に死んじゃいない。ちょっと、薬にやられてるのと……あと、酸欠っぽいな、少し」
銀河を診ていた鏡が淡々と言った。
「月季じゃないですけど、本当にどうしたんでしょうね。彼女らしくもない」
蔡軌が顎に手をかけて考えている。
「売り飛ばすとかなら、まだ納得できるけどな。これじゃ……」

コイツを殺そうとしてるみたいじゃないか。

砂礫の言葉に、鏡と蔡軌がぴくりと反応する。
「なんだよ、それ! なんで銀河が殺されなきゃいけないんだ!?」
「本当に、分からない?」
砂礫に食って掛かる月季に、蔡軌が淡々と問いかけた。どこまでも静かなその声は、なのに重たく月季の心に響いた。
「本当にって……」
見透かされている。そう、月季は感じた。蔡軌の言うとおり、本当はわかっている、心当たりがある。その相手が誰かまでは、わからないけれど。
「なんだよ、僕が何か知ってるとでも言うのかよ! 悪いけど、僕はなあんにも知らないんだから。銀河のことなんて、これっぽちも!」
これっぽっちも、というのは少し言い過ぎかもしれないけれど。でも、銀河がどこの誰かすら、月季は知らない。それは、少しだけ寂しい真実だったけれど。
「そうかもしれないね。でも、少しは知ってるんじゃないですか? 例えば……その、『銀河』という名前とか」

「……え?」

月季はぽかんとして蔡軌を見た。この男は一体何を言い出すのだろう。そして、今まで静観していた鏡も、訝しげに眉を顰めながら蔡軌に問う。
「どういうことだ?」
「名前って……月季が付けたんだろ、そんなの」
砂礫も同様に。訳が判らない三人を尻目に、蔡軌は相変わらず淡々と口を開いた。

「私も最初は偶然かと思ったんですけどね。銀の翼、真紅の瞳の『銀河』という名を持つ者……私はそんな存在を知っている、狙われるべき充分な理由とともにね。ただし、私の知る彼女は、鳥などではなかったけれども」

ひゅっと、息を飲み込む音がした。それが自分の喉の立てた音だと、月季は時間差で気付く。

気付いている、蔡軌は。月季ですら知らない、銀河の正体に。

「つまり、なんだ。月季がこの鳥を預けた女ってのは、こいつを殺そうとしてる奴……いや、その手先ってとこか?」
「まあ、そんなところで正解でしょう。もっともそれが、彼女本人の意思かどうかは判らないけどね」
「……って」
砂礫と蔡軌の会話に、小さく割り込んだのは、月季の声。
「銀河が殺される理由って……何なんだよ」
「月季は、聞いていないのかい?」
蔡軌の問いに、月季はゆっくりと首を振った。
「なら、それは私が言うべきことではない。彼女が自分自身で、君に言わないということを選んだのだから」
「でもっ!」
きっぱりとした拒絶に、月季は必死で食下がろうとする。確かに銀河は、自分に関わる重要なことは何も言ってくれなかった。でも、こうし命を狙われている様を目の辺りにしては……黙っていられない。
銀河にとっての月季はどうなのかは知らないけれど、既に月季にとっての銀河は、大切な『友達』なのだ。
「そうやって、お前はいっつもだんまりを決め込むって訳か」
思わぬところからの加勢は、不機嫌な顔をした鏡だった。不機嫌――本当にそうなのだろうか。その顔色は、いつもは見ないような、けれどどこかで見たことのあるような色を宿していて……。
「さて。そう言われてもね。別に都合が悪いから黙っている、というのでもないんだけど」
蔡軌の顔には、いつもの人の良さそうな笑みが浮かんでいる。その笑みの中で、どう見たって笑ってはいない瞳が鏡を捉えた。

「それに、そんなことも言ってられないようだよ?」

ふわりとした動作で、蔡軌は机の上――そこに敷かれた柔らかい布ごと、銀河の小さな身体を持ち上げた。そのまま、元の箱に戻そうとするのを見て、月季は慌ててその腕に跳びついた。
「って、銀河に何すんだよ!?」

「多分、この中の方が彼女にとっては安全だと思うよ? 月季だって、こんな状態の人を抱えたまま『戦う』わけにもいかないだろう?」

「……え?」

「って、おい!」

戦う。今現在この状況で、その言葉が指し示すことは……一つしかない。露骨に舌打ちした鏡の横で、砂礫が素早く辺りを見回し指示を飛ばす。

「とりあえず話はあとだ。全員外へ。月季、いつでも空嗣を起動できるようにしておけ!」

そうしてまず月季が部屋を飛び出していき、それに砂礫が続く。四人がいた部屋は、束の間、二人きりの空間になって。

「……どうしてお前は、魔物が来るのが判る?」
「君はもう、何かを確信してるんじゃないか? だったら、私が何を言っても意味は無い」

突き放したような言葉とは裏腹に、蔡軌の表情はどこか優しい。
「……仲間だとか言っといて、壁作ってんのはそっちだろうが」
吐き捨てた鏡は、そのまま蔡軌に背を向け走り出す。その背を見ながら、蔡軌は小さく吹き出した。

(個人主義かと思ったら、見かけと中身が同じとは限らないってことか。おもしろいな、彼らは三人とも)

そうして部屋から歩み去る瞬間、蔡軌はふと空を――天井の向こうにある空を見上げるような仕草をした。

「それにしても……これはやりすぎなのでは?」

そんな蔡軌の呟きを、銀河は朦朧とした意識の中で聞いただろうか。











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2011.06.19