「赤王女殿下を害する? いきなり何を仰るかと思えば」 目の前の叔父――空界皇帝の唯一の弟である緑柱の公王は白々しくもそう言ってみせた。そんな相手に対して白夜は心の中で百万の罵倒を投げつけた。けれど、もちろん顔には出さない。この程度は予想の範疇だ。少し早いが爆弾を放り込むことにする。 「惚けても何もなりませんよ。すでに証拠は挙がっているのですから」 「証拠? ですから一体何の証拠なのです?」 見た目には十分迫真の演技といえる。役は謂れの無い冤罪を受けた男、といったところか。さすが、伊達に年は喰っていない。 「呪紋……」 だから、白夜がこう呟いた時にも、公王は眉一つ動かさなかった。内心はどうか知らないが。 「銀河姫は、地界において変化の呪紋をかけられていました。その呪紋の痕跡を調べれば、誰がそれを為したのかはすぐ判る」 「それが、私のものだと?」 「ええ」 暫しの沈黙。それは、お互いに相手が何を考えているかを探るための沈黙。 「一つ、お聞きしてもよろしいか?」 「何なりと」 先に口を開いたのは公王だった。 「先程、殿下は『痕跡を調べれば』と仰いましたな」 確かに言った。しかし、この質問の意図が読めず、用心深く答える。 「……ええ」 「それはつまり、まだ調べていない――私による呪紋だとは確定出来ていない、ということではないのですか?」 この不毛な話し合いが始まって初めて、公王が笑みを口の端に上らせた。早まったか、と白夜は少しだけ悔いる。けれど、これで言い逃れさせるつもりはない。駒はすでに、この手の内にあるのだから。 「確かに。まだ彼女に刻まれた呪紋を調べたわけではありません」 あっさりと肯定してみせると、公王は笑みを消し、こちらの出方を伺うような表情を見せた。 「ですが、叔父上。貴方のものと非常に近い紋だったと……姫を保護した者から報告を受けているのですよ」 がたっ。 公王が椅子を蹴り上げるように立ち上がった。その顔に怒りの表情が浮かんでいるのを、白夜は冷ややかに見つめた。 「そんな程度のうたがいで、この私を拘束なさったのか! そのその、その赤王女殿下を保護したというもの、本当に信の置ける者なのですか!?」 不当な疑いに怒る男は、けれどまだ皇太子たる自分を貶めるような発言はしていない。さすがに、ここまで来て不敬罪で捕まるのは避けたいのだろう。その方が、いっそ楽なのに。 「叔父上は、その者の判断を疑っている、ということですか?」 「左様。その者を使っていらっしゃる殿下には申し訳ないが、どこの誰とも知れぬ者にあらぬ疑いをかけられるなど、許せるとお思いですか?」 「そうですか……それが、赤王太子妃だとしても?」 公王は瞠目して黙り込んだ。 「赤王太子妃は銀河姫の義姉。それに、もとは私の妃候補だったこともあり、今でも親しくさせて頂いている。此度の銀河姫の探索についても、快く受けて貰えましたよ」 公王は何も答えない。当たり前だ。立場的にはまだ赤王太子妃である朝緋の方が弱いが、かたや政治に関わることを許されぬ公王、かたや次世代の政治の中心となる赤の王太子の妃。近い将来、その立場は逆転することとなる。そんな相手に対して、迂闊に暴言など吐けるものか。 朝緋に銀河の探索を頼んだのは、全く以って正解だったと、白夜はほくそ笑む。そうして、ふと思い出したように付け足した。 「我が妃候補といえば……久方ぶりに従姉姫にもお会いしましたよ、叔父上」 公王は微かに眉を顰めた。今ここで、何故愛娘の話が出てくるのか、まるで解せないというように。 「いろいろと、興味深いお話を伺いましたよ。例えば――どのように銀河をかどわかしたか、など」 今度こそ、公王の顔色が変わった。 「多少、厳しい聞き方にはなりましたが、ご安心を。乱暴は致しておりません。さて、今度はどのように言い逃れなさる?」 白夜はひんやりと笑った。 しばらくの間、公王は黙りこくったままで。しかし、やがてぽつぽつと呟きだした。 「娘は……貴方をお慕いしていました。幼い頃には、いつか貴方と結ばれる日を、それはそれは心待ちにして」 「存じています」 「私は、父親として悔しかった。今でも覚えておりますよ、銀河姫と貴方が婚約された日のあれの顔を」 「だから、銀河を消して、貴方の娘を次期皇妃にとお考えになったのですか? ……くだらない」 「くだらない、ですと?」 白夜の冷笑は、すでに嘲笑へと変わっていた。やはり小物だ、この男は。 娘への愛情を建前に、自分の権力欲を隠そうとし。 自分自身の力で権力の座を目指すこともせず、ただ娘を道具としてそれを成そうとし。 何よりその手段として、よりにもよって銀河に手を出すとは、愚の極み。 「全く以ってくだらない。だいたい、彼女や朝緋を妃候補と騒いでいたのは貴方たちの勝手。俺の妃は、銀河以外にありえない」 そう吐き捨てた白夜の言葉に、公王は目を剥いて問い詰めてきた。 「銀河姫以外にあり得ない!? お言葉ですが、我が娘の『盾』としての力は、銀河姫より数段上。確かに銀河姫の力も強いが細やかさには欠けると聞く。『剣』の力持つ貴方の妃として空界を護るには、我が娘こそが相応しい! それに、朝緋殿下に至っては、『盾』どころか『癒し』の力の持ち主。王妃となるならともかく、皇妃となるには役者不足でありましょう」 翼の民は、それぞれが特殊な能力を持っていて。その能力は、おおまかに三つに分類できる。 一つは『剣』の力。襲いくる脅威を排除し、敵を一掃する『攻撃』の力。 一つは『盾』の力。全ての攻撃を跳ね返す『防御』の力。 そしてもう一つは『癒し』の力。傷を癒し病を治す『治癒』の力。 公王の娘、白夜の従姉が持つのは『盾』の力で。一方、朝緋が持つのは『癒し』の力。そして、銀河は。『盾』の力を持っていると、公王は伝え聞いている。 「我が娘に、いったい何が不足だと言うのです!」 握られた拳が過剰な力のために微かに震えている。爛々とした光を放つ瞳は、今まで信じていたことを否定されたことに対する怒りを宿していた。 「やはり、貴方は何も知らされていないようだ。従姉姫の力が強いということは認めましょう。しかし、我が妻には『盾』の力など必要ない」 白夜はさらりと言い切った。公王は意味を掴めなかったらしく、呆けたように瞬きを繰り返した。 「剣が使いようによっては防御の道具になるように、盾もまた巨大であれば攻撃の道具たり得るのですよ、叔父上。気がつきませんでしたか? 私の力が『剣』ではないことに」 瞬きが止まり、代わりに大きく見張られる瞳。最早、苦笑するしかない。 「皇帝に求められるのは、空界を護り維持していくための『盾』の力。だからこそ、皇妃にはその逆の力が求められる。即ち、外敵全てを薙ぎ払う強大な『剣』たることを――そして、それを気付かれぬことを」 白夜はゆっくり立ち上がった。もう、彼に話すことは何もない。 「さて、沙汰は追ってお知らせ致します。それまで恙無くお過ごし下さい、叔父上」 扉を出る直前、愚かな男を振り返る。欲望を失った男は、この部屋に入ってきた時より萎んで見えた。
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