水平線に、向こうの岸辺が見えてきた。 「どうすっかなあ……。『守護憑きの蔡軌』は事故死しましたー、とか。無理かな、言い訳」 半分砕けた甲板で、青い青い空を見上げながらぼやくのは砂礫。 「無理じゃねえの? それに、後から無事な顔して出てこられでもしてみろ。内輪もめを起こしたとか思われて、審査合格取り消しにもなりかねねえし」 その横で腕組みする月季の更に横では、鏡がぷかりと煙草を吹かしている。 蔡軌が消えて二日と半。目的地は迫っているというのに、蔡軌は一体どこへ行ったのか、帰ってくる気配はまるでない。最初は蔡軌が魔属であると知って静かに憤っていた鏡も、信じきれずに苛々していた月季も、蔡軌の正体に関係なくその行方を心配していた砂礫も、最早ここまでくると諦めの境地に達してしまっていて。曰く、『帰ってこない蔡軌の正体より、その不在をどう誤魔化すかの方が重要』なのである。 「まったく、あの男、無責任にも程があるわね」 だからあいつは嫌いなのよ、と言ったのは朝緋。一旦空界に戻った銀河と違い、彼女はもうしばらく地界にいるつもりだという。一応病に倒れたことになっている手前、同じく病ということになっていた銀河と同時期に『回復』すると、変に勘ぐられてしまうから。でも、月季はこう思う。残ったのは、もう少し鏡と一緒にいたいからではないかと。銀河と契約を結んだ今、月季には二人の、恋とは違う強い絆をわかることができた。 「それにしても、どーすっかな……」 「どうしようかなあ……」 「何か、いい考えないかねえ」 「何について?」 「だから蔡軌の……って!」 いつの間にか、さりげなく一つ増えた声。慌てて振り向くと、そこには。 「やあ。しばらく留守にしてすまなかったね」 当然のような顔をして、今話題の青年が。いつの間にやら紛れ込んでいた。 「蔡軌っ! どこ行ってたんだよこの大馬鹿! お前いなくなったせいで、僕も鏡も、砂礫だって怒ったり疑ったり心配したり、大変だったんだかんな」 まず真っ先に月季が、のほほんと笑う蔡軌に掴みかかった。 「申し訳ない。どうしてもやらなきゃいけないことがあってね……。どうせ、僕の素性については赤の妃殿下に聞いたんでしょう?」 「じゃあやっぱり、お前が魔属だってのは……」 煙草を片手に、鏡は一瞬蔡軌をねめつけたが、すぐに反らしてため息を吐く。 「も、いいさ。別になんだろうと。お前がちゃんと、俺たちの審査に協力してくれるなら」 「それは……ありがとう。協力も何も、この審査は私も受けているものだからね。もちろん、誠心誠意、頑張るさ」 諦めたような疲れたような開き直ったような鏡の態度に、蔡軌は不思議なアルカイックスマイルで笑う。そんな蔡軌を見ていた朝緋は、彼女の契約者とよく似た表情で問い掛けた。 「で? 貴方一体自分の守護者をどうしてしまったの? 空界じゃ、緑柱の公王の急死で大騒ぎなのだけれど?」 「嫌ですね。そんな言い方したら、私が彼を殺したみたいじゃないですか。そんなこと、する訳ないのに」 「違うの?」 「ええ」 「……そう。ならそういうことにしておきましょう」 たったそれだけの会話で、朝緋があっさり引き下がったのは月季には意外だったけれど。言い争いにならないなら、それに越したことはない。きっと、朝緋の中でも鏡と同じような、何かの変化があったのだろう。きっと、鏡と再会したことで。 「あー、蔡軌が帰ってきてくれて良かったよ。審査はどうなることかと思ったぜ」 晴れ晴れと、今の会話の殺伐さなど歯牙にもかけない明るさで砂礫はにまっと笑った。 「こっちこそ、間に合って良かったよ。では、行きましょうか……僕らの旅が終わり、そして始まる地へと」 水平線に見えるあの岸辺に着くまで、もう後少し。
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