四月十九日(月曜日) 深夜である。夜中の二時半過ぎなのだから、立派に深夜、草木も眠る丑三つ時――のはずである。のに。 何故にこの家のインターフォンが連打されているのだろうか。 ピンポンピンポンうるさいソレにぐっすり眠っていたところを叩き起こされ(ただでさえ昨日は変なことばっかりの日で疲れているのに!)、ドアの覗き穴を確認したナオは、頭を押さえて深いため息をついてから。玄関のドアを開けた。 「よーお、楠本くーん。元気?」 「元気? じゃねえ、この酔っ払い」 酒臭い息を吐きながら押しこんできたのは、というより倒れ込んできたのは、アリスと同じ名字の友人だった。ぐでんぐでんに酔っぱらっているところを見ると、携帯で言っていた飲み会の帰りだろう。というか。 「おま、どっから来たの。もう電車動いてねーだろ」 「ひとり寂しーく落ち込んでるナオくんのためにぃ! タクシー使っちゃったよーん」 あ、おじさん下で待ってるから払っといてー、と言うだけ言って。アキラは今まで起きていたのが奇跡だったかのようにぐおぐおといびきを立て始め。鍵開けっぱなしの玄関のドア、外向きのそこからアキラの言う通り、タクシーが一台止まっているのを確認して。 「……ったく!」 ナオは財布を引っ掴むと、清算をしに部屋を飛び出した。 「……んで、人のベッド占領して寝てるわけねーアキラくんは」 タクシー代を払って部屋に戻ってみると。玄関あたりで昏倒していたはずのアキラはちゃっかりとナオのベッドを占領していた。いびきはさらに豪快になっている。 でもナオも、今さらアキラに気を使う気もないので――夜中の二時半過ぎに叩き起こされただけでも大迷惑なんだし――、ベッドの上に、まるで階段にでも上るかのように上がって。えい、とアキラを蹴り落とした。 ずしん、と。それなりに重くて硬い音がして。ちょっと階下にご迷惑だったかなーと蹴り落としてから思った。叩き起こされたとはいえ、やっぱりうまく頭が回っていないようだ。ちなみにアキラはというと、自分が蹴り落とされたことなど全く気付いていない様子でぐうぐう寝ている。図太い。これはもう、起こしたとしても起きないだろう。起きたところで電車もないし、タクシー捕まえるにしても難しいだろうし……と思ったところで、ナオはふと思い出してベッドから下りるとアキラのジーンズのポケットを探った。 「お、みっけ」 タクシー代、二九六〇円。払ってやる義理はないので勝手に回収しておく。ちなみに小銭ぴったりはなかったので、千円札二枚と五百円玉二枚を抜き出して、自分の財布から四十円を返しておいた。 さて。 床で寝ているアキラはもう放っておくことにして、ナオは再びベッドにもぐり込んだ。と、そこで鼻をつく臭いに顔を顰める。 「酒くせッ」 短い時間とはいえ、枕にばっちりアキラの酒の臭いが移っていた。仕方なく、枕をひっくり返す。少しマシになった。ので、寝る体制に入ったナオだったけれど、そういえば。 (そういやコイツ、なんで来たんだ?) 浮かんだ疑問は、すぐに睡魔に負けてうやむやな形になってしまって。もともと眠かったナオは、アキラのいびきをBGMに再び夢の中へと旅立っていった。 *** 「僕が……君を忘れる?」 「そうよ」 無感動に、無表情に。彼女は言い放った。でも、ほんの少し顰められた眉間と目元が、彼女自身も自分の言葉に――どうしようもなく変えられない未来の事実に、傷ついているのが、わかった。彼女がそんな顔をするから、彼女の言葉は真実なのだと、肌でわかってしまった。 ただただ、頭が真っ白になって。何も言えない彼の代わりのように割り込んだのは、事情を知る彼の友人。 「ちょ、そんなことあるわけないだろ!? コイツは確かにお人好しでぼーっとしててあんまり頼りにならねえけど」 真っ白な頭で、それでもその言い草にちょっとムッとする。けど。 「でも、ベタ惚れの女のこと忘れるような奴じゃねえよ、俺が保証する」 続けられた内容に、頭の中に少し色が戻ってくる。 そうだ、自分は忘れたりなんかしない。他でもない、彼女のことは。他の何を差し置いても。 「違うのよ」 平淡な声で、彼女が俯いた。 「違うの、きみたちがあたしのこと、普通に忘れてしまうって言ってるわけじゃないの」 震えた語尾に、彼も友人も押し黙る。共に過ごしたのはほんの僅かとはいえ、強がりの彼女がこうもわかりやすく泣きそうになっているのは初めて、見た。 「決まっていることなの……過去の人間は、どうしたって未来の人間のことを、覚えていられないの」 ぽろり、と。地面に雫が落ちるのを、彼らは頭を鈍器で殴られたような思いで、見た。 *** なんだか懐かしい夢をみた気がして、目が覚めたら。床の上で寝ていた。 ぼんやりと目を開けた先、そこからちょっと視線を上にやると、ナオのベッドで爆睡しているアキラが目に入った。どうやらいつの間にか、ナオの方がベッドから蹴り落とされたらしい。自分の部屋なのに、この理不尽さはなんだろう。もう慣れたけど。 アキラとの付き合いは高一で同じクラスになって以来で。出会った瞬間から迷惑のかけられ通しだった。「入学式めんどいからサボろう」というのを必死で止めて。それで騒いでいるのを学年主任の先生にみつかって、アキラはとっとと逃げたせいで何故かナオだけ怒られて。それからもずっと、授業のサボりに巻き込まれたり、猫拾ってきて学校で飼おうとするのに巻き込まれたり、カツラ疑惑の先生の正体を暴こうとするのに巻き込まれたり――いろいろ、あった。何度も大喧嘩したし、友達やめようと思ったことだって一回じゃない。 それなのに、大学になった今でも付き合いが続いているのは、きっと。根はイイ奴だとわかっているから。根は、というか、イイ奴なのだ、基本的には。ただちょっとマイペースで自分勝手で気紛れで人の迷惑を顧みないだけで。――ん? それってイイ奴なのか? 閑話休題。 アキラはまったく起きそうにないので、ナオはさっさと自分だけ朝の支度をすませる。ちょっと遅刻しそうなので、朝ごはんは途中のコンビニで何か調達することにして。さて、でかけようというところで、ナオは難問にぶつかった。 「……鍵、どうすりゃいいんだ……」 閉めないで行くのは嫌だし、かといってアキラを起こすのも面倒くさいし。結局、テーブルの上に『郵便受けに入れておけ』というメモと一緒に合い鍵を残して。ナオは部屋を後にした。 「なあ、なんか美少女来てんぜ」 と、同じ授業を取っている奴が窓の外を指しながら言うまで。講義が終わった後も教室に残って友人たちと雑談していたナオは、正直に言って忘れていた。 昨日、自分の前に現れた少女が、今日ナオを迎えに来ると言っていたことを。 というかむしろ、夜中のアキラの襲撃からこっち、未来から来たという少女のことなどすっかり頭から吹き飛んでいた。もしかしたら、現実逃避だったのかもしれないけど。 慌てて窓の外を覗くと、昨日と同じような赤チェックのワンピースを身にまとった少女が、おもしろくもなさそうに校舎を見上げているのが目に入った。 「ワリ、先に行く!」 「楠本?」 それまでの話を投げ捨てて。教室を飛び出して行くナオの背中に、それまで話していた友人たちの視線がぐさぐさと突き刺さる。これじゃきっと、明日は質問攻めなんだろうなとちょっと頭痛を感じながら。ナオは一段飛ばしに階段を駆け下りていった。 「遅い。女の子を待たせるのがこの時代の礼儀なの?」 時間は午後三時十二分。きっかりかっちり約束したわけではないものの、確かに講義が終わる三時に迎えに来るとは言っていた、そういえば。「ごめん」と謝りつつも、なんだか朝と同じ理不尽さを感じるのは何故だろう。 「行きたいとこ、決まった?」 とりあえず、学校の敷地内なので知り合いやら顔見知りやらの視線が痛いから。駅まで向かうことにして、その道すがら。その昨日の続きで聞いてみた。この時代の、観光案内をするという約束、というか申し出。 「んー、まだいろいろ考え中なんだけど、とりあえず昨日言ってたスカイツリー建設現場行っとこうかな、映画みたいだし。あとウィンドーショッピングね、渋谷とか」 女の子の買い物……。噂に聞いただけだけど、付き合う男にとっては苦行でしかない時間だとか。こどもの頃、母親の買い物が退屈で、一人で勝手にオモチャ売り場に行った記憶があるが、あんなモノだろうか。というか。 「ウィンドーって、買わないの?」 「買っても意味ないもの。あたし、今回この時代に来たことって、あたしの時代に帰ったら記憶消されちゃうし、買っても没収されちゃうもん。もちろんお金は返してくれるけど」 「そうなんだ……。じゃあ、まずはスカイツリーってことで。じゃあこっから浅草かな。ほんとに工事現場となると業平橋だけど――」 と話がまとまりかけたところで。ナオの携帯が着うたを鳴らした。アリスに目で断ってからディスプレイされた名前を見て。ナオはぶちっと電源ボタンを押して何事もなかったかのように鞄にしまった。 「出ないの?」 「出るべきじゃない相手だった」 「何失礼なこと言いいやがるこの野郎」 不思議そうに言うアリスに返したその答えに。ここにいないはずの人物からツッコミが入った。 「……」 声のした方を振り返って。ナオは見ないフリで視線を前に戻した。さっさとこの場を離れるに限る。 「逃げるな馬鹿。お前のせいで必須授業出れなかったじゃねーか出席取るのに。責任取れ」 「知るか呆け。だったら日曜の夜に飲み会入れるんじゃねーよ、大人しく家で寝とけ他人の家でぐーすか寝こけやがって迷惑魔人が」 ナオにしては珍しい悪口雑言に、昨日会ったばかりのアリスが目を丸くしている。けれど、ナオに言わせればこんな口調になるのはみんな相手のせいなのだ。あきらめて振り向いた先、仁王立ちしている悪友、アキラの。 「お前、ちゃんと鍵はかけてきたんだろうな。てか何でここにいんの」 「おうよ。今日は午後一までだったからな。責任取らしてなんか奢らせようと思って」 「何が責任だよ。こっちが慰謝料欲しいくらいだ」 偉そうにナオの家の鍵を差し出してくるアキラからそれを受け取りながら。ナオはがっくりと肩を落とす。 「何を言う。そもそもお前が昨日の合コンに来てれば俺が遅刻なん……か」 「?」 不自然の止まった言葉を不審に思って、ナオがアキラの視線の先を追うと、そこには。 思いっきり他人のフリで、角の花屋を覗いているアリスの後ろ姿。 「……か」 「何、『か』って」 「か……」 「おい、飯塚?」 いつものように名字呼びしてから。そういえばアリスも同じ名字だったと思い出したら案の定、アリスがちょっと訝しげに振り向いた。 その時。 「帰ってきたのかよ、アリスちゃん!」 え、とか。なんで、とか。思う間もなく。 ナオは、そして花屋の側に立っていたアリスごと、アキラに抱きしめられていた。 「ちょ、おい! 馬鹿、離せ!」 「ちょ、何、何なのこの人!?」 二人の悲鳴を物ともせずに、アキラはぎゅうぎゅうに二人を抱きしめてくる。正直言って、かなり苦しい。息苦しいしむさ苦しいし暑苦しい。 「よかった、よかったな、ほんとに。これでホントのハッピーエンドだな、やっぱりこうでないとだよな」 ほとんど泣きだしそうなくらいに喚くアキラに、そんな二人の想いは少しも伝わっていないようで。ナオはなんとかもがきながら、アキラの腕の中から抜け出した。空いた隙間から、アリスも脱出する。ぐす、と鼻を啜るアキラを、ナオは無言で殴りつけた。 「て、痛え! 何すんだよ!?」 「何すんだはこっちの台詞だ! いきなり出てきて何すんだよマジで!?」 「なんだよ、友達として喜んでやったのに! アリスちゃんもこの馬鹿に友情の大切さを教えてやって、よ……?」 ぎゃんとナオに叫び返してきたアキラが、ナオを指差しながらアリスに呼びかけて。得体の知れないモノを見るように、そそくさと目を逸らしてナオの背後に逃げ込む姿に首を傾げた。 「あの、アリスちゃん……?」 「おい、飯塚。この人のこと、知ってるのか?」 そこでようやく。ナオはアキラの行動の不自然さに思い至った。 今までの言動、どう見ても、アキラはアリスを知っている。 「知ってるって……アリスちゃんだろ? 帰ってきたんだろ、未来から?」 違うのか、と。アキラの方もようやく、この場に流れる不自然さに気付いたようで。ぎしぎしと、まるで油の切れたロボットみたいな動きで、ナオとアリスを見比べて。 三人の間に、しばし沈黙が流れた。 「えと、ちょっと待って。状況を整理しよう」 こめかみを人差し指で押さえつつ、ナオはまず、アリスを見た。 「コイツ、僕の知り合いで飯塚アキラっていうんだけど……知り合いだったり、する?」 「しない、けど……あたしのこと、知ってるの、ね?」 今度はアリスが、アキラを見る。アキラは大きく頷いた。 「うん。未来から来た飯塚アリスちゃん、だよな。俺と同じ名字、飯塚仲間。……って、俺のこと知らないって!? ひどいよ、俺なんかした!?」 「ちょい待ち、飯塚。お前いつ飯塚さんと知り合った?」 「あ? 先月……の終わりくらいか? まだ桜が咲いてた頃だな、三人でお花見したじゃん」 す、と。アキラの表情が曇った。 「楠本、お前……忘れちまった、のか?」 痛ましそうな、さっきとは別の意味で、何かのきっかけがあれば泣きだしてしまいそうな、顔。 「ちょっと待って! あなた、あたしのこと『知ってる』のね?」 二人の間に割り込んだアリスにアキラが頷く。アリスはポシェットから携帯を取り出すと、二人に背を向けて、どこかに向かって電話を掛けだした。 「――もしもし、審査番号七七二九、飯塚アリスです。……はい、ちょっと予想外の事態です。未来の私のことを、覚えている人間がいまして……。はい、……はい、え?」 そんな遣り取りをしているアリスの後ろで。アキラがナオに詰め寄った。 「お前、本当に覚えてないのか? 三人で桜見て、お前、アリスちゃんの写真撮ってたろ?」 「ちょ、待てよ飯塚、お前、知ってるのはともかくなんで覚えてんだ!? 過去の人間は未来の人間のこと覚えてられないって聞いたぞ!?」 「俺だって聞いたよ、つーか二人で聞いたじゃん! 俺がまだ覚えてるから、お前だってまだセーフだと思ってたのに……ッ」 ナオの胸倉を掴んで、アキラが。絞り出すように、言った。 「ひでえよ、こんなの……。こんなのって、ねえよ……」 俯いてしまったその表情は、ナオには窺えなかったけれど。泣くよりもひどい、辛い顔をしているのだろうと、声でわかった。 「お前、なんで」 なんで、そんな辛そうなの。そう聞こうとしたナオの声は、「なんですかソレッ!?」というアリスの叫びにかき消された。 何事だ、とそちらを見やったのは、ナオとアキラ、同時で。二人の視線の先、アリスはというと、「そう、なんですか……はい。はい、わかりました」と電話を切って、がっくりと項垂れたところ、だった。 「……どうしたの?」 おそるおそる、その背中に問いかけると。 「……時間渡航プログラムのバグ……しかも、原因調査中でレアケースだから、今はワークアラウンド扱いになってる問題だって……」 「は?」 わけのわからないことをぶつぶつ呟くアリスを覗き込もうとした瞬間、アリスがばっと顔を上げた。あやうく頭突かれそうになったナオが、「わっ」と仰け反る。 「未来から来た人間を覚えていられる例外条件! その人間の先祖であることだって!」 アリスの台詞に、ナオとアキラは顔を見合わせた。 「……というと」 「……俺、アリスちゃんの先祖?」 「……そうみたいね……」 またも、しばしの沈黙がその場に流れて。そして。 「えええええ!?」 「うるさいよ!」 お笑い芸人のようなリアクションでアリスを指差しながら叫ぶアキラ、の頭をナオが叩く。 「え、だって先祖って、アリスちゃんなのに!?」 「何その言い方。微妙にムカつくんだけど」 「あ、ごめ。でも、えええええ!?」 「だからうるさい」 少し?れたアリスに謝りながら、まだ叫び続けるアキラの頭をもう一回、目覚まし時計の要領で叩く。まさしく目覚まし時計のごとく、アキラの叫びが止んだところで。ナオは改めてアリスに向き直った。 「で、本当なの? いや、本当っぽいのは聞いててわかったけど、それだとなんか問題あったりする? 大丈夫?」 うっかり真偽を確認しかけたところで、アリスがまた?れかけたのがなんとなくわかって。慌てて話題を変える。幸い、アリスはそれ以上怒ることもなく(内心はどうか知らないけれど)顎に人差し指を当てて考えるような表情を見せた。 「そうね、詳しいことは折り返し連絡するって言われたから……まずはちょっと、話を聞かせてもらいましょうか」 きょとん、とナオとアキラは顔を見合わせた。 「話?」 「そ。なんで未来のあたしがこの人を好きになったのかとか、この人なんか好きになったのかとか、なんでこの人と恋なんかしちゃったのかとか聞きたいことが山ほどあるじゃない」 「いや、それぶっちゃけ一つだけじゃ」 「とにかく! 道端じゃなんだし、移動するわよ」 どこか、昨日ナオと出会った直後と似たような台詞を吐いて。アリスはさっさと駅の方へと歩いていく。その背中を見送りかけて――ナオは慌てて。 「ちょ、せめて駅くらいは移動しようよ! ここだと僕、知り合いだらけなんだから!」 と手近な店に入ろうとするアリスを止めようと走り出して。 アキラは。 そんな二人を見送りながら。 「『未来』のあたし?」 ぼんやりと呟いて。「飯塚、何してんだよ!」と手を振るナオに慌てて駆け寄った。 というわけで。ナオの要望を入れて、何駅か移動した上で。手近なファミレスに入った三人のテーブルの上には、昨日も出てきた丸い機械――TSS。窓際の四人掛けテーブルで、並んで座るナオとアキラと、その向かい側に座るアリスと。ナオとアリスが見守る中で、アキラがゆっくりと口を開いた。 「――てかぶっちゃけ、俺がアリスちゃんと知り合った時にはもう、お前ら八割がたデキてたみてーな感じだったからなあ。なんでそういうことになったか、正直俺もよく知らねえんだわ」 アキラにはすでに、今この時間にいるアリスが、アキラの知っているアリスではないこと――アキラの知っているアリスよりも、前の時間の未来から来たということは、説明してある。そこでまたアキラが「えええええ!?」と絶叫してアリスが不機嫌になってナオがそれを仲裁したのだが、TSSが作動していたお陰で店員に冷たい目で見られることはなかった。未来道具様々だ。 「ご期待に添えず、すまん」 「八割がたってことは、残りの二割は?」 アキラの謝罪はさっくり無視したアリスの質問に、アキラはうーんと首を傾げた。 「ようするに、二人とも素直になれてないって感じだったかなあ。三人で花見した後あたりから、なんか俺の知らないところでまとまってくれちゃったみたいだったけどね。うん、ようするに俺、なんも情報提供できないわやっぱ、ごめん」 「……役立たずめ」 ぼそっと呟いたアリスに、ナオはなんとなく背筋がぞっとする。本当に、なんでこんな女の子に惚れるのか、ナオの方も問いたださせてもらいたい。真剣に。 「でも、さ」 ぽつり、とアキラが零した言葉に。アリスもナオも動きを止めた。 「お前ら、すげーしあわせそうだったんだぜ。見ててこっちもなんか幸せになれそうな感じで」 どこか遠い場所を思い出すような表情で、アキラは固まっている二人を見比べた。 「アリスちゃんは、忘れられたくないって泣いてた。楠本は忘れたくないって苦しんでた。俺は結局、部外者だったけど、二人がまた一緒にいられる方法があるって聞いて、すげー良かったと思ったんだぜ? そう、思えるような二人だったよ、お前たちは」 何も、言うことができず。ナオもアリスも、しばらくその台詞を反芻していた。 と。 ピリリリリ―― 無機質な電子音が、その場に響き渡った。アリスが慌ててポシェット探る。取り出した携帯電話に、「はい、飯塚です」と出るアリスを、ナオはぼんやりと見ていた。二言三言、言葉を交わすと。アリスは携帯を仕舞って立ち上がった。 「ごめんなさい。今からちょっと、時間渡航管理局の方に行かなきゃならなくなったから」 「今の、その渡航局の人?」 「そう、先祖と会った場合のマニュアルについて説明するって。まあだいたい内容の予想はつくけどね。未来のことあんまり喋るな、とか」 じゃ、と頼んでいた紅茶の代金だけ置いて去って行こうとするアリスを、アキラが慌てて呼び止めた。 「ちょっと待って! アリスちゃん、明日は空いてない? 楠本も。見せたいモノがあるんだ」 「明日?」 怪訝な顔で振り返ったアリスは、「この後の説明にもよるかもしれないけど、別にいつでもいいけど」と頷いた。 「楠本は?」 「俺は――明日、一限終わった後は二コマ空き時間だから、その間なら。学校終わったらバイトだし」 「甲斐性ねえな。惚れた女のためなんだから授業くらいサボれよ」 「無責任なこと言うな馬鹿。俺は自分で学費払ってんだよ、お前と違って!」 「馬鹿って言う方が馬鹿だろ知らねーの?」 低レベルな争いを始めかけた二人を、苛々とアリスが制した。腰に手を当て仁王立ちで二人を睨む。 「ああもう、どっちも馬鹿だから! とにかく、明日の十一時にまたここででいいわね? それなら一時間目も終わってるでしょ」 『……はい』 なんとなく、逆らえず。思わずアキラと声を合わせてナオは頷いた。蛇に睨まれた蛙の気分を少し味わったけれど、まあ実際、十一時なら問題ないし。 「じゃ、あたし行くから」 そう言って、ふわりとワンピースの裾を翻して。昨日、駅で去って行ったのと同じように颯爽と、後ろに何の未練も残さない様子でファミレスを出て行くアリスの後ろ姿を見ながら。アキラが「相変わらずクールだよな、アリスちゃん」と呟いた。 ナオは、というと。 アリスが残していった紅茶の代金、テーブルの上に置き去りにされた何枚かの硬貨をぼんやりと眺めていた。 こういう時、女の子に奢ってあげられるような男になりたいものだけれど。写真はやっているだけで結構お金がかかるものだし、学費も払わなければいけないし。しょっちゅう金欠な自分には、正直アリスが自分のお金を出してくれるのは助かった。でも、そんな自分が恰好悪いと思う自分も確かにいて。 本当に、アリスはどうして、自分みたいな情けない男に惚れたのだろう。 「おい楠本」 ぐるぐるとした思考に陥りかけたナオに、よっこいしょとそれまでアリスが座っていた向かい側の席に珈琲ごと移動して。アキラが釘を刺した。 「まあ、何考えてんのかだいたい想像はつくけどな、お前だからアリスちゃんは惚れたんだぜ? そこんとこは、自信持て」 と、ここまでは良かったのだけど。 「まーでも、アリスちゃんが俺の子孫だってんなら、俺がアリスちゃん口説き落とせなかったのも当たり前かー。お前に恋愛ごとで負けるとは、思ってもみなかったもんなあ」 「ちょい待て!? 口説いた!?」 聞き流せない単語にナオは、バンッ、とテーブルを叩いて立ち上がった。昨日のアリスのように。ただ、TSSはすでにアリスが持ち去った後なわけで。途端、近隣のテーブルの客やら店員やらの視線に串刺しにされたナオは、非常に居たたまれない気持ちでそっと席に座りなおした。未来道具の偉大さが、改めて身に染みる。 「……く、口説いたって、何で」 「何でって、かわいい女の子と知り合ったら礼儀として口説くだろ普通」 「口説かないよ普通。てかそんな普通は嫌だ」 「ほら、な」 むっとして言い返したナオに、アキラがにやっと笑ってみせた。 「少なくともアリスちゃんは、口説くのが普通な俺じゃなく、口説くのが普通じゃないお前を選んだんだ。そう思うと、少しは納得できんじゃねえの?」 アキラの言葉に、ナオは押し黙って。アイスコーヒーの氷が溶けて、薄まってしまうのを、ただ黙って見ていた。アキラは何も言わず、向かいでホットコーヒーを啜っていた。
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