ふと気付くと馬鹿みたいなほどの必死さで耳を澄ましている自分がいて。ショウは無言で口を小さくへの字に曲げた。今朝、どこからともなく聴こえてきたその歌は、聴こえなくなった今でも、身体の奥のどこかで鳴り響いているようで。
すごく綺麗な声の、すごく綺麗なその歌は。でも、なんだかすごく寂しそうで、まるで何処かに帰りたいと、そう言っているみたいだった。

知らない声。記憶にないはずの声。なのに、その声は……。



「起きなさいっての」
ばこっ。呆けていたショウの頭に、美羽の鉄拳が落ちた。
「いってー! 寝てねーよ、何しやがんだ!」
「でも、頭の中寝てたでしょ」
「……考え事してただけだよ。おー痛」
ジト目で見てくる美羽に、うまい返しも思いつかず。ショウはわざとらしく頭を擦ると、手元の作業に意識を戻す。注意した美羽はというと、今度は逆にショウをじっと見ていた。
「なんだよ、ちゃんと仕事してんだろ?」
「――別に。なんでもない」
「はあ? なんなんだよ、気になんだろ!」
「うるさい! 気にしないで仕事しろ!」
ぷい、と顔を逸らして。美羽は再び洗濯物の山の整理に戻る。完全に問いかけを拒否しているその横顔を見て、ショウは追及を諦めた。
穏やかな昼下がり。天気もよいから絶好の洗濯日和。子供たちは立ち入り禁止の託児所三階にある職員室兼園長室、ということになっているこの部屋では、現在洗濯機がフル稼働中だ。子供たちが昼寝中のこの時間、ショウと美羽の仕事は洗濯を始めとした託児所の雑務全般だ。ちなみに園長であるグラファイトはというと、一人で昼寝の子供たちの監視だ。
しばらく黙々と仕事をしていた二人だったが、ふと美羽が顔を上げた。少し遅れてショウも、階段を上ってくる音に気付いて手を止める。ドアの前で足音はとまり、こんこんとリズムよくノックの音が響いて。二人の返事も待たずにドアが開けられる。

「やほっ。ちゃんと仕事してる?」

開いたドアの向こうから、顔を出したのはリクルだった。
「げ。何だよ、何しに来たんだよ、お前留守番だろ、こんなとこ来てていいのかよ」
「うん。ちょうど人の途切れる時間だし、ここにいるって玄関に張り紙してきたから」
リクルは部屋にあるテーブルの、空いていた椅子に座って、持っていた小さい鞄から弁当の包みを取り出した。首を伸ばして、ピンクのバンダナから出てきた弁当を覗き込むと。それは少し前にショウと美羽が食べたのと全く同じ中身だった。と、いうことは。
「お前、最初からここで昼飯食うつもりだったのかよ?」
いつもショウたちの弁当を作っているのは、言わずと知れたリクル。多分、今朝は自分の分も含めて三人分作ったのだろう。外出のラシュ・キートは、外で食べると言っていた。
「ん。今日キートがお出かけって、前から判ってたからね」
たまにはキートにもお弁当作ってあげたかったのになあ、と呟くリクルがラシュ・キートの養女であるとショウが聞いたのは、彼が診療所に引き取られてしばらくしてからだった。
美羽が居候というのは聞いていたが、リクルとラシュ・キートのことは漠然と兄妹だとショウは思っていた。だから正直、意外に思ったのを覚えている。
リクルの両親が亡くなった後、遠縁のラシュ・キートが彼女を引き取ったのだそうだが、養い親とその子というには二人の年齢は近い。よくて若い伯父と姪っ子といったところか。でも、この義理の親子の仲はすこぶる良好で。美羽に言わせると、ラシュ・キートはリクルを甘やかしすぎだ、とのことだけれど。

ラシュ・キートに弁当を作ってあげられなかったことを嘆くリクルを見ながら。ショウはふと、自分の身に思いを馳せた。
天涯孤独の子供が珍しくない世の中ではあるが、ショウにだって親や家族がいてもおかしくはない。だからグラファイトはショウの捜索願が出ていないかも調べてくれたが、それらしきモノは一切なく。もしかしたら、家族なんていないのかもしれない。いても心配されていないのかもしれない。自分のことを知っている人がみつからないという事実は、ショウを随分と不安にさせている。意地でもそんな素振りは見せてはいないけれど。

だから今朝の歌声は、ショウにとって救いのようなものかもしれなかった。

ショウの記憶から聴こえてきたのかもしれない歌声。ショウのことを知っているかもしれない、その声の主。逢いたい、と思った。あの綺麗で寂しい歌声に。自分のことを知っているかもしれないとかも、もちろんあるけど。でも、それ以上に――



あの歌は、懐かしかったから。



「珍しいな、ショウが物思いに耽ってるなんて」

にゅっ、と。ショウの視界いっぱいに、グラファイトの顔が現われた。驚いたショウは、思わず背中から座っていた椅子ごと倒れてしまった。
「びっくりさせんなよ、いつ入ってきたんだよ、てめえはっ」
幸い打ちはしなかったものの衝撃が響いた頭を擦りつつ、ショウはグラファイトをねめつけた。ついでに、けらけらと笑うリクルを軽く睨んでおくことも忘れない。
「いつって……さっきだけど? ちゃんとドア開けて入ってきたんだけどなあ。ま、いいや。そろそろ皆起こしておやつにするぞ。リクルも食べてくだろ? 診療所の方は大丈夫か?」
「ん、そうさせてもらう。キートが今日いないの、みんな知ってるし。……もし、急患とかあったら、とりあえずグラファイトに頼れってキートに言われてるし。もしもの時にはこっちに運ぶことになるから、その時はよろしくね」
「おいおい、人使い荒いよなあ、あの腹黒医者」
グラファイトは苦笑して、部屋を出て行き。ショウたちもその後を追おうとした、その時。
ぽつりとリクルが呟いた。

「くやしいな」

わけがわからずリクルを見ると、彼女の目はぼんやりと遠くを見ていた。
「くやしいって、何が?」
ショウと同じように、怪訝そうな顔をした美羽が聞いた。
「あたし、一応看護士見習なんだけどな。でも、あたし、もしもの時に急患が来たとしたって、その人を助けられる自信、全然ない。キートだって、わかってるからグラファイトに頼れ、って言ったんだろうし……。でも、なんか、くやしい」
ショウと美羽は顔を見合わせた。なんとなく、気詰まりな沈黙が流れる。

リクルの気持ちはなんとなくわかる。わかるけれど……なんと言ったらいいか、わからない。

「リクルは……」

何を言えばいいのかもわからないまま、咄嗟に口を開いてしまった自分を心の中で罵りながら。ショウは一生懸命、自分の思ったことを伝えようとして。

「リクルは、馬鹿だよな」

「って、何よ、それ! どーせあたしは馬鹿よ、悪い!?」
まずい言葉を選んでしまった。当然のことながら真っ赤になって怒った顔のリクルに、必死で訂正――いや、正確に伝えたかったことを伝えるために、頭の中で言葉を探す。
「いや、そういう意味じゃなく……」
「じゃ、どういう意味だってのよ!?」

「リクルは、さ。馬鹿みたいに優しいんだよな。助けたいんだろ? 急患とか、もし来たらさ。ちゃんと、自分で」

いつもはナマイキで小憎らしい奴だと思うけど、こういう時、リクルはちゃんと看護士なんだと思う。そういうのは、悪くないと思う。と、そういうことを伝えようとしたショウだったが、目に入ったリクルの顔に、思わず続く言葉を失った。

「おい、どしたんだよ」
リクルが、さっきまでの怒り顔じゃなくて、なんだかぽかんとした顔をしていて。首を回して美羽も見れば、美羽もなんか変な顔で。

何か、変なことを言ってしまっただろうか?

「おーい、どしたー? 手伝ってくれよー」
遠くから、グラファイトの声がした。その声に、美羽とリクルがぎくしゃくと動き出した。
「今行く!」
そう言って、美羽は足早に部屋を出て行く。リクルもそれに続こうとして……立ち止まって、振り返らずに、一言。

「……ありがと」

「おうよ」
よくわからないが浮上できたらしいリクルに笑って軽く返すと、今度こそ、ショウも二人を追って大部屋に向かった。











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2013.01.01