託児所の大部屋の窓。ここからはこの街の名物である時計塔がよく見える。さっきまで布団が敷き詰められていたその部屋に、今は折りたたみ式の大きなテーブルを広げて。その上におやつの菓子を並べていると、子供たちがわらわらと寄ってきた。 「ほらほらみんな、ちゃんと座って食べなきゃダメだぞ。はい、いただきます」 あちこちでいただきますと元気よく怒鳴る声が響く中、ショウはぼんやりと晴れた空にそびえ立つ時計塔を見ていた。 古めかしい色調の壁が、真っ青な空に向かって真っ直ぐに伸びている。その天辺、あの高みにまで登ったらどんな景色が見えるんだろうと、夢想する。 見てみたい、と思う。昔のことだけじゃなく、自分の翼も思い出せないショウは、空から見た景色も少しも覚えていない。だからこそ、あの時計台の高さに憧れているのかもしれない。 とはいえ、あの高さでは翼があっても天辺まで飛ぶのは至難の業。 それとも――がんばれば、届くだろうか。自分の翼を取り戻したら、そうしたら……。 「あれ?」 その時、考え込んでいたショウの目の端を、ちらりと何か赤いモノが過ぎった。 赤い、時計塔の上に昇っていったように見えた、あれは……翼の、色? 「ん、何、どうしたの?」 よく見ようと身を乗り出したショウに、菓子を食べ終わったらしいリクルが声をかけてきた。 「なあ、今さ、時計台の上に、誰か飛んでったみたいに見えたんだけど……」 「は? 何言ってんのよ。あんな高さ、スポーツ選手でもなきゃ無理だって」 「でも、今……」 もう一度よく見ようとしたショウの横で、子供特有の甲高い声がした。同時に、ショウの服の裾をかくんとひっぱる小さな手。足元を見ると、子供たちの一人が窓の外を指差していた。 「ね、ショウお兄ちゃん、とりさんが、たくさん」 その言葉が妙に引っ掛かって、ショウは。小さな指が指し示す窓の向うに目を凝らした。 青空の中、浮かぶたくさんの黒い染みが。こっちに向かってくるたくさんの、鳥? 黒い染みが、だんだん大きくなる。羽ばたく翼は、鳥だけのものじゃない。さらに大きくなる染み。その頃には、もうその影は鳥なんかじゃないって、充分にわかった。 「ね、ショウ……。さっきあんたが見たっての、あの人たちのこと……?」 リクルにもわかったらしい。たくさんの影は、今ははっきりと人のカタチをしていることがわかる。揃いも揃って黒尽くめの服を着た、大勢の人間。 白い鳥のカタチの『翼』も、虹色の蝶の『翅』も、黒い蝙蝠の『羽』も。 そして、『黒い翼』、『虹の翼』、『白の翅』、『黒の翅』。 基本三種も混血四種も入り混じった、たくさんの羽ばたき。 それらが真っ直ぐ、こっちに向かって飛んでくる。 窓に張り付いたショウたちを不審に思ったのか、グラファイトが近付いてきた。 「どうした?」 グラファイトが窓の外を覗くのと、ソレが起こったのはほぼ同時だった。 一瞬、何が起こったのかわからなかった。 目の前で光が弾けたような気がした。 鼓膜が破れそうな音、そのせいで窓ガラスがびりびり鳴る音。 その向うで、もうもうと起こる砂埃と、スローモーションで崩れていく建物。 砂埃がやんで、半壊というより全壊に近い瓦礫の頭上から舞い降りてくる黒い人間たち。 「“アレスズ”……!? なん、で!?」 急に聴こえた声に、現実に引き戻される。美羽の声、だ。もともと白い顔からさらに血の気を引かせて、真っ青になって外を見ている。 「何、あれ、なんなの、これ?」 涙声。リクルの声。その語尾に被り出すのは、子供たちの泣き叫ぶ声。そして外から響く、悲鳴、悲鳴、悲鳴。 「おい、おい! みんな、落ち着け!」 グラファイトが子供たちを落ち着かせようと、手を振り回して声を上げる。でも、それは逆効果しか生まなかったようで。子供たちは、糸が切れたかのように泣き出した。 悲鳴と、泣き声と、外からはモノの壊れる音。そして渇いた、あれは銃声? そんな嫌な音が溢れる中で、ショウの思考はぐるぐると回っていた。湧いてくるのは、理不尽さへの怒り。 なんで、どうしてこんなことになるんだよ!? 「おい、てめえら……」 こんなの――ゆるせない、のに。許していいはず、ないのに! 「全員静かにしやがれ!」 全身全霊かけて怒鳴ったショウの声。恐れをなしたのか、子供たちが一斉に沈黙した。 嫌にシンとして、外の音ばかりが耳に付く、そんな中で。 ふと、鼻をついたのは。鉄臭い、生臭いにおい――鉄棒した後の、汗の混じった掌のような。 ショウは、この臭いを知っていた。いや、人間なら、生きているなら誰もが本能で知っている、その臭い。 これは――血の、におい、だ。 急いで窓の外を見る。同じことに気づいたらしい美羽も同様に窓に駆け寄る。そこには。 赤く染まった服。倒れた体の下から広がる赫。赫に塗れて逃げ惑うその中に、多数混じる、知った顔。それを追う、黒い影。 地獄絵図。そんな言葉が脳裏を過ぎる。どんなモノかはよく知らないけど――それはきっと、こんな風景のこと、だ。 「ショウ、お前、その眼……」 何か言いかけたグラファイトだったが、小さく舌打ちすると声を張り上げた。 「いいか、全員地下室に隠れるんだ。いいって言うまで隠れてるんだ、いいな?」 グラファイトが子供たちを誘導し始める。子供たちも、今は大人しくそれにしたがっている。やけに、静かに。ショウや美羽、リクルもそれに続く。 外からは相変わらず、破壊の音が響いていた。
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